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(間方地区へ向かう1本道から見る三島町の山の風景)

福島は今後どこを目指し、どのような姿勢で歩んでゆくべきなのか。
見出すためにはまず、今の福島をきちんと視て聞いて知る必要があるのではないかと考えます。当たり前のことのように思えますが、なかなか難しいことです。

震災と原発事故を経験した福島の変わりゆく姿、変わらない姿を写真として記録に残す、「環境記録プロジェクト」の招聘作家、赤阪友昭さん。
県内各地の山々や津波被害の爪痕が残る被災地、原発事故の影響で立ち入りを制限されている区域などを訪れ、そこにある福島の姿を様々な角度から視て感じ、カメラにおさめ続けてきました。

人間としての目線だけではなく、自然からの目線で福島を視る。
赤阪さんの作品に添えられた言葉には、
人間の目線で自然をいじくりまわし原発というとんでもないモンスターを作り上げてしまった事をこんなにも反省して生きているつもりでいたのに、それでも所詮自分はまだまだ人間の目線で自然を見て、接してしまっているままなのだと気付かせてもらえる事がとてもとても多いです(私個人の言葉になってしまいましたが)。

今年度の赤阪さんの制作地は会津地方三島町の最も奥にある「間方地区」。山と共に生きる間方の皆さんから日々の暮らしや自然との付き合い方についてお話しを伺いながら、福島の自然を学ぶきっかけとなる写真作品を制作します。

前回の滞在は8月。お盆の時期に合わせ、地域に伝わる風習などを取材しました。
間方地区の皆さんは年中行事をとても大切にしてらっしゃいます。ご先祖様、八百万の神を敬い、祈念することは、厳しい環境の中で自然と共存しながら暮らす皆さんにとって当たり前の習慣です。代々続けられ守られてきた年中行事は今もしっかりと皆さんの生活に根付いています。

今回の滞在は9月の終わり。
台風が近付いていたため不安定な天候が続きましたが、ほぼ毎日山に入りました。
案内人は、間方のまとめ役であり、山ブドウの蔓などを使った編み組細工の職人でもあり、山菜・茸採りの名人でもあり、マタギでもある「山の人」、菅家藤一さん。奥会津の山に詳しい方として藤一さんの右に出る者はいないとも言われています。

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藤一さんのご自宅に宿泊させていただき、毎日藤一さんのご家族と過ごした赤阪さん。まるで田舎の親戚の家に来ているようだとおっしゃっていました。私も、今回初めてお邪魔しましたがまったく同じことを感じました。

山に入った藤一さんは60歳を過ぎているというのに赤阪さんも追いつけないような軽快な足取りでどんどん山を登ってゆくのだそうです。熊の巣穴を案内していただいたり、松茸採りに同行したりしながら、厳しくも美しい山の姿を写真におさめました。

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間方の初秋。少し冷たい澄んだ空気の中、静かに時は流れます。

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(山との付き合い方を語りながらビールを美味しそうに飲む藤一さん)

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藤一さんのご自宅のお隣にある作業場、工房間方から見える山の景色。自然を受け止め、山と共存して生きてきた間方地区の皆さんの暮らしは、福島が、日本が今後残し続けていかなければならない文化的財産であり、目指していかなければならないところでしょう。

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しかし、藤一さんは言います。
「松茸もな、今は頼まっちゃとき以外はほとんど採らないようにしてんの。なんぼ検査してだいじょぶたっつても茸だから。放射能だなんだって言われんべ。言われっちゃぐねぇがら。」

三島町は福島第一原発から西に約125km。関東方面でいえば茨城県水戸市までとほぼ同じ距離です。それを遠いとするか、近いとするか、簡単には言えませんが、そのような距離であるということだけは説明しておきます。

変わらないように見えるけれど、変わってしまっていることもあるのだと知りました。
山の生態系を第一に考え、山からの恵みを少しだけわけていただきながら、厳しい自然を受け入れ、自分たちも自然に受け入れていただくという形で共存を守り続け、自然に敬意を払いながら暮らしてきた人々。

藤一さんは、せっかく採った松茸を「放射能が怖いから食べたくない」と言われることについて「言われっちゃぐねぇ」とおっしゃっている訳ではないのです。

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(藤一さんは編み組細工に使う山ブドウの蔓を「(山から)わけてもらう」と話す)

赤阪友昭さんの次回の制作は11月下旬。
間方地区に暮らす地域の皆さんを撮らせていただき、年度内開催予定の展示に向けた最終制作へ向かいます。

(髙橋牧子)