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2016年8月15日(月)
福島祝いの膳プロジェクト
フードアーティスト中山晴奈さんの今年度第3回目のリサーチの様子をご紹介します。
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あいにくの曇り空ですが、
まずは福島市にある梨園、株式会社あべきさんを訪ねました。
代表の阿部泰博さんから梨栽培の歴史をうかがいます。
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福島市萱場はもともと養蚕が盛んな地域でしたが、明治はじめ頃の桑の不作を受けて梨栽培に転換し、本格化したのは大正の頃だそうです。梨の産地から苗木を取り寄せたり、園芸の先生を招いて指導を受けたりと、様々な取り組みを経て、今では「萱場梨」と呼ばれるブランド梨に成長しました。辺り一帯は梨農園です。

そこから更に、革新的だったあべきさんでは、お祖父さんの代から洋梨栽培を始められたとのこと。
自生種に洋梨の品種を接ぎ木し、現在は9種類の洋梨を栽培しているそうです。
マルグリット・マリア、ドワイエンヌ・デュ・コミス、ブルックリン、ブール・ボスク、ル・レクチェ、シルバーベル、ラ・フランス、グランド・チャンピオン、ゴーラム
何やら聞いているだけで、高貴な香りが漂ってくるお名前。
19世紀のフランスで貴族たちが競うように品種改良をし、今に至るそうです。

あべきさんの販売スタイルは顧客から直接注文を受ける直販。
主に首都圏の方が贈答用に購入されるそうです。
そのため、震災後の風評被害の影響を受け、一時は70%も注文が減少したといいます。

梨そのものの出荷のほか、様々な加工品の開発もされています。
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コンポート、ワイン、缶詰にジャム。
洋梨のジュースやビールも作っているそうです。
缶詰や瓶詰めの洋梨は1~2年ねかせると、熟成して何ともまろやかな味になるのだとか。
特別な時には、お菓子屋さんに頼んでタルト・タタンやソルベを作ってもらうこともあるそうです。

その後、洋梨畑を案内していただきました。
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洋梨畑には、どこかおしゃれな雰囲気が漂っていました。

次は桃農園のかんたファームを訪ねました。
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こちらも9種類の桃を栽培されているとのこと。
はつひめ、まなつ、あかつき、紅国見、まどか、紅錦香、川中島、阿部白桃、ゆうぞら
こちらも名前がきれいです。

桃栽培の流れをうかがいました。
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まずは苗木選び。苗木のカタログを見せていただきました。
同じ川中島でも、その中にさらに多数の品種があるとのこと。傾向や好みで苗木を選びますが、植えてから5年は待たないと売れる品質の桃は収穫できません。
「桃栗3年柿8年」といいますが、根をはって、木が十分なエネルギーをためるまでには、長い時間が必要なのだそうです。
その後は、
冬に剪定。よい枝を選んで残します。
3月には摘蕾。枝の下側についている蕾だけ残して、あとは摘んでしまいます。枝の上は実が日焼けをしてしまうので、はじめからとっておくそうです。
5月に花が咲くと受粉。こちらでは人工ではなく、虫たちによる自然受粉を行っています。
実がなると、今度は摘果。甘みたっぷりの桃を作るためには、数をしぼらなければなりません。
夏には収穫。品種によって収穫時期が異なり、7月~9月は忙しい日が続きます。涼しいうちに採らないと、あっという間に熟れてしまうらしく、収穫は朝4時~5時に行うとのこと。
まさに今がその時期。どれも美味しそうに実っているように見えますが、虫害や、日焼け、ちょっとした傷も許されません。完全無欠な桃でないと出荷されず、あとはジュースの工場などに送られるそうです。
摘蕾に始まり収穫まで、何とも過酷な桃の選抜コース!
そんなデリケートな桃の大敵は天候。1日収穫が遅れただけで、雨風により傷んでしまいます。この日も天気は下り坂。今たわわに実っている桃の明日が心配です。
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かんたファームさんの面白いところは、最盛期には職場体験として小学生に出荷のお手伝いをしてもらっていること。
箱作りや箱詰め、最後の押印をお願いしているそうです。
中には毎年来ているベテランの小学生もいて、大人を指導できるほどだとか。心強い!

収穫できるまで手間ひまがかかる割に、とても傷みやすく、収穫できる時期は短い。一番難しい果樹ではないかと菅田さんは言います。
それでも桃農園をされているのは、収穫時期以外は暇だからと冗談めかしておっしゃっていましたが、きっと何とも言えない魅力があるのではないでしょうか。
そう思わせるほど、今が盛りの桃畑は妙に色っぽく、吉祥感にあふれていました。

今回、果樹農家さんにうかがって、これまでのリサーチとの違いを強く感じたのは、やはり果物はファッショナブルな食べものであるということ。
主食や栄養源としての食べものではないからこそ、そこには「価値」が必要になります。
その「価値」をいかにプロデュースしていくかが問題になるわけで、今回うかがった2件は農家であるとともに、ブランド戦略に長けた企業家のような印象を受けました。

食べものをとおして見る、はま・なか・あいづは本当に面白い。
そう思った第3回リサーチでした。

2016年7月13日(水)、14日(木)
福島祝いの膳プロジェクト
フードアーティスト中山晴奈さんのリサーチが奥会津の昭和村、裏磐梯の北塩原で行われました。

1日目は昭和村で農家民宿「やすらぎの宿とまり木」を営む皆川キヌイさんを訪ねました。
キヌイさんはお米、各種野菜をご自分で作っていらっしゃいますが、中でも豆の種類の豊富さに驚きます。
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納豆豆、香り豆、丹波黒豆、みそ豆、きなこ豆、黒豆早生、青豆、だだ茶豆
名前を唱えているだけで、楽しくなってきます。
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さっそく豆料理のレクチャーを受けます。
まずはお豆腐作りに挑戦。
水につけた青豆をミキサーで細かくします。これを呉汁といいます。
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遊びに来た小春ちゃんも気になるご様子。
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呉汁を沸騰するまで煮ます。
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沸騰したら布巾でこして、おからと豆乳に分けます。これが熱い!
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緑色の、とてもきれいなおからができました。
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豆乳を鍋に戻し、にがりを加え、豆腐箱に移します。
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ですが、
あれ?・・・あれれ?
いっこうに固まる気配がありません。
最初は大丈夫よと言っていたキヌイさんも、何やら不安げな面持ち。
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最終的に、とても美味しい豆乳ができあがりました・・・笑
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何が原因だったのかは不明。再チャレンジを誓いました。

他には、豆を素揚げして自家製味噌を絡めたもの、おからの煮物を教えてもらいました。
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料理の合間に紹介してくれたのが、麦芽と餅米で作る水飴。
砂糖を手に入れるのが難しかった頃、砂糖の代用として作られました。
とにかく滋味豊か!病気の時、薬代わりにしたというのも納得です。
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さて、その日の夕食はキヌイさん手作りの料理の数々。
ほとんどがキヌイさんの畑でとれたものです。
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最後は香りたかいきのこご飯と、自家製味噌の味噌汁。
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どれもとても美味しいのですが、心づくしの料理に胃の大きさが追いつきません・・・。

翌朝は、キヌイさんの畑を案内していただきました。
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茄子、葱、南瓜、隠元、、、
手入れの行き届いた畑、やさしい雨にぬれる緑と土の香り。
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体の中からも外からも清らかになったような気分で、キヌイさんの宿を後にしました。
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そして、裏磐梯は北塩原へ。
北塩原地域興し協力隊の赤木さんの案内で、ジュンサイ摘みに挑戦しました。
ジュンサイは淡水の池などに生える水草で、茎や若芽にはゼラチン質のヌルと呼ばれるぬめりがあり、夏の高級食材として珍重されています。
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裏磐梯エコツーリズム協会会長の真野さんからは、北塩原の寒冷な気候・きれいで豊富な水が栽培に適していること、主に女性の夏の仕事として行われたこと、シーズンが短い故に安定的な収入に結びつかないためなかなか後継者が現れないことなどをお聞きしました。
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さて、いよいよ船出です。
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摘み始めると、思わず熱中しみな無言に。
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本日の収穫。そして夜には酢の物にして美味しくいただきました。
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そして最後は、会津山塩企業組合に向かい、代表の栗城さんから山塩の歴史、製法についてうかがいました。
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山塩はその名の通り、山でとれる塩です。
大塩裏磐梯温泉は、太古の海水が溶け出した塩分の高い源泉です。それを煮詰め乾燥させることによって山塩が作られます。長い年月によって海水の成分が変質し、海塩とは異なる風味と成分の山塩が誕生しました。
藩の製塩所として栄えた大塩地区ですが、昭和42年の大火によって一度、その技は途絶えていました。
そこで会津山塩企業組合が、地域の伝統と味を復活させるため結成されました。
煮詰める濃度によって温泉の成分が塩の味に影響し、安定した品質になるには試行錯誤の繰り返しだったそうです。
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できた塩も粗さによって、舌に感じるまろやかさが全く異なります。
これからも商品開発に向けた試行錯誤は続きます。

今回のリサーチで改めて感じたのは、
地域の伝統食、食文化を伝えるのは人なのだということ。
何より好きだから、喜んでもらえるのが嬉しいからとおっしゃって、農家民宿を営むキヌイさん。
昔ながらのものと、キヌイさんの新しい感覚とのバランスが絶妙でした。
後継者不足に悩みながらも、新しい形でつなげていこうとしているジュンサイ摘み体験。
一度は途絶えても人々の熱意によって復活し、裏磐梯の特産として売り出し中の山塩。
伝統はただそこにあるのではなく、それを伝える人の思いや工夫が加わることで、生きてつながっていきます。

さて、次回はうってかわって、
中通りの果樹農家さんの新しい取り組みをリサーチします。
お楽しみに!

2016年7月8日(金)、9日(土)

福島祝いの膳プロジェクト
2日にわたって開催されたいわきフォーラムの後半、
小名浜UDOK.でのクロストーク「潮目の血」の模様です。
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トーク1「うみラボから分かること」(小松理虔)
トーク2「三陸~いわき 海と食の復権」(中山晴奈)
トーク3「写真集『魚人』『おわり。』の世界~漁と猟~」(田附勝)
と題して、お三方からそれぞれの活動と、活動を通して見えてきたことについてお話しいただきました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故による海や魚への影響を調査する、いわき海洋調べ隊「うみラボ」の研究員として活動している小松さん。
いわきの海は暖流と寒流がぶつかる豊かな海であること、海底の地形、どんな魚がどこにいるのか、どんな漁師がどんな漁をしているのか、原発事故によって改めて地元の海を知ることになったといいます。また、そうして自分で調べ体験することによって、放射線量のデータが持つ重み・深さが全然違ってくるということ。
浜通りは東北・関東双方の周縁にあって、日本の近代エネルギー産業を支えてきました。その歴史を踏まえたうえでどちらにも依らずに、いわきの豊かさを見直して新しい価値観を生み出していくべき、という提言がなされました。

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食をコミュニケーションツールとして捉えているというフードアーティストの中山さんからは、全国各地の漁業、水産ビジネス、海とのつきあい方の様々な有り様を紹介していただきました。
今は、食べる人ととる人・作る人との距離が遠くなり、何が美味しいということなのか、何が安全なのか、わからなくなっていると中山さんは指摘します。たとえ安全を諦めたとしても、消費者は誰がどのように作っているのかを知ることで、生産者は自分たちが作ったものがどのように食べられているのかを知ることで世界が変わり、相互に安心を得ることができる。中山さんが携わっている『東北食べる通信』では、SNSを介して消費者と生産者が直接つながることで、新しい流通の場づくりを行っているとのことでした。

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写真家の田附さんは、東日本大震災以前から岩手県釜石の鹿撃ち猟、突きん棒漁を行う猟師・漁師の姿を撮り続けています。田附さんにとっての東北は、生の爆発や死を日常の生活の中にもっていると感じるエリアであり、海や山とともに生き命をいただく、その当たり前の生活を、当たり前の生活の中で感じて田附さんは撮影します。最大のテーマは台所にたどりつくこと(笑)。台所は生と死と生活が、何百年も何千年も繰り返されてきた場所です。
だからこそ、原発事故を契機に鹿撃ちをやめた猟師の姿を追った写真集『おわり。』は、圧倒的な密度と重さを持っています。

最後のクロストーク「潮目の血」では、お三方に会場を交え語り合っていただきました。
クロストーク

「祝い」について。
日常の食事、日々の暮らしがとても尊いということ、
季節の繰り返しの中で収穫する喜び、
空気のように生活に溶け込んでいる、先祖や見えない存在を思い祈るということ、
それをアートの視座から捉え直す、それが「祝いの膳プロジェクト」なのだというお話がありました。

「日常」
日常の中で意識されていないことが、外の人間の問いかけによって意識され輝きを増す瞬間、それがありがたいのだと中山さんは言います。
撮影先のお宅で昼寝をさせてもらうという田附さん。「寝てていいよ」と言われた時、許されたように感じるのだとか。昼寝しながら感じる台所の匂いや見えない気配に生活をかぎとり、撮影するそうです。
とれなかった時はなんとかし、とれた時は飽き飽きしながら食べ方や加工を工夫する、それを引き受けて食いつないでいく。そこからでないと感謝の気持ちは生まれてこないのではないか、というお話も小松さんからありました。

人と自然とのつながり、人と人とのつながり
そこに人は尊厳や信頼を見いだし、安心、幸福を感じていたはず。
原発事故はそれらを奪い、傷つけました。
ですが、それを取り戻すこともまた、人を思うこと、人とつながりをもつことから始まるのかもしれません。
食べることを通して誰かを思い起こし、情景を思い浮かべることという「祝いの膳」は、そのつながりの一つです。

いわきフォーラム2日目は
中山さんの「他者を思うこと」という言葉で終わりました。
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2016年7月8日(金)、9日(土)

福島祝いの膳プロジェクト
フードアーティスト中山晴奈さんによる、いわきの伝統食・水産業のリサーチ結果をもとに、いわきの食文化の多様性・海の恵みについて知り、福島の食の現状と復興を語り合うフォーラムが2日間にわたって開催されました。

7月8日(金) 車座トーク「いわき食べものがたり」 @四家酒造
7月9日(土) クロストーク「潮目の血」 @UDOK.

1日目の様子をご報告します。
講師は中山さん、
江戸時代から代々いわきに住みいわきの食文化に詳しい有賀行秀さん、
四家酒造代表の四家久央さん、
いわきの食産業に詳しいいわき産学官ネットワーク協会の阿部峻久さん、
いわき海洋調べ隊「海ラボ」事務局の小松理虔さん、
八戸・釜石に滞在し海と山の漁師・猟師の姿を撮影している田附勝さん

まずはクロストーク1「いわきの食、いまむかし」と題して中山さん、有賀さん、四家さん、阿部さんにお話いただきました。
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人の思いが強くある食材や料理は「文化の結晶」だとおっしゃる中山さん。
阿部さん、小松さんの案内でまわった、いわきのリサーチについて紹介してもらいました。
そこから見えてきたのは、福島の食の多様性、
会津の山の文化とは全く異なるいわきの食文化・人の気性・ある種の捉えどころのなさだといいます。
そのリサーチの課程で出会ったのが、
有賀を名乗って400年、いわきに住んで250年という有賀さん、古くから酒屋を営む四家酒造の四家さん。
お二人のお家に伝わる伝統食についてご紹介いただきました。
とは言っても、家のルーツ、生業、地域によって様々な違いがあり、
「これがいわきの伝統食だ」と言うことが難しい複雑さがあることがわかってきました。

有賀さんちのお煮がしと四家さんちのお煮しめは違うのか?
呼び方、味付け、食べるシーン・・・共通点もありつつ、各家でかなりのバリエーションがあるということ。

いわきは魚?
山側の地域では実はあまり食べないということ、保存方法や代用品が様々に考案されてきたこと、などなど。

いわきの食文化の捉えどころのなさ、それはつまり「多様性、豊かさ」でもあると感じられたクロストーク1でした。

有賀家のお煮がし

有賀家のお煮がし

クロストーク2「いわきの魚食、東北の魚食」
ここでは、中山さん、小松さん、田附さんの3人で、より海に接近したお話をしていただきました。
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いわきで捕れる魚の豊富さ、田附さんがフィールドにしている釜石・八戸の漁、それぞれの特性、その共通点と相違点を話しているうちに、命をいただくという感覚、船と海でつながる環太平洋文化へと議論は広がっていきます。

「船文化やばいよ(笑)」(田附)

そして原発事故の影響について。
数値で食べ物の安全性が測定されている現在、
田附さん、中山さんの言葉で印象的だったのは、
「食べるとは、あの人が捕っている、あの風景の中で捕っているという情景を食べることでもある。だからこそ美味しいと思う」
「信頼している人が、その人の判断で捕った魚なら信頼して食べる」
というもの。
何が安全で何が危険なのか、大量のデータの中で窒息しかかっているなか、
本来、食べるとはどういうことか、信頼できるとはどういうことか、食の本質への問いかけがなされたように思います。

車座トーク「いわき食べものがたり」
最後には全員参加で語り合っていただきました。
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東北でもなく関東でもないといういわきの不思議な立ち位置、山もあり海もあり、開けているが故に様々なルーツの人が流れ込み多様な文化を形成しているという環境。

「いわきの中にもはま・なか・あいづがある。いわきは福島の縮図」(小松)

いわきの捉えどころのなさを掘り下げていくと、そういったことが見えてきます。

最後に大きなテーマとなったのが
食は、現在の人や自然をつなぐだけではなく、過去の先祖や目には見えない世界と今をつなぐ力があるということでした。
「いますがごとく(そこにいるかのように)」食事をお供えすることによって、会ったこともない先祖がいて今の自分がいることに思いを致し、形としては見えない自分の外側にある世界に畏敬の念を抱く。
それは他者への想像力であり、それが今生きていくために大切なことなのではないか、ということが語られました。

締めくくりの中山さんの言葉
「食べものを扱うのは重くてしんどい。でも、食べものは様々なものをつなぐ多様性に満ちあふれている。福島は本当に複雑な所で、それを一つにまとめることは難しいけれど、模索しつづけていきたい」

とっぷりと暮れたところで、1日目の車座トークはお開きとなりました。
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