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郡山市で開催中の成果展、トークイベント3本立ての最後は、
9月18日(月・祝)、華道家の片桐功敦さん、ラッパーの狐火さんをお招きしての「被災地のあなたへ―今、郡山で話す福島」です。

会場となった安積歴史博物館は旧福島尋常中学校として明治17年に創立された建物。
とてもよい雰囲気の中、トークは展示中の片桐さんの作品の前で行われました。

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片桐さんは、2013・2014年に、南相馬市に滞在しながら、津波被災地で死者に手向ける花を活けてこられました。
その頃のひりひりした感情、怒り、哀しみについてお話しいただきました。

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狐火さんは、福島出身のラッパー。
震災当時、東京におられ、福島の家族と音信不通だった3日間に考え続けた、
大切な人がいなくなってしまうかもれしない恐怖、それを引き起こした震災・原発事故について言葉にし音にのせ配信したことをきっかけに、以後、福島を伝える言葉と音楽を発信し続けています。

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表現手段は異なりますが、どこか響き合うお二人。
今年は東京と広島で、お二人のトーク、パフォーマンスとライブを行っています。そして今回へと続きました。
花と言葉を武器に東京へのりこんだこと、8月の広島で深い共感を得たことについてお聞きしました。
そこに如実に見えるのは、都市間の温度差です。
深い傷を負い、それを伝え続けてきた広島。それ故にこそ、伝える方法に限界を見いだし、また新たな方向を模索している広島。
福島はどのような未来を描くのでしょうか。

最後は狐火さんのライブ。
片桐さんが花を活ける映像に、狐火さんの言葉が重ねられます。

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振り絞られるような、締め付けられるような言葉の数々に、聞く者はただそこに立ち尽くし、打たれます。
原爆ドームが広島の記憶を伝えるモニュメントとなったように、
片桐さんの花が、狐火さんの言葉が、このひりひりした感覚とともに伝わっていく。
それを受け取る心をなくしてはいけない。

会場からは、千年先にこのことを伝えなければならない、そしてそれはできる、という力強い言葉をいただきました。

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また、今回の会場には、片桐さんが私たちと結びつけてくださった方、狐火さんの存在を私たちに伝えてくださった方の姿が。
その出会いが次の出会いを生んでいく。
小さい声かもしれませんが、その声がまた誰かに届くことを願って、プロジェクトは続きます。

9月17日(日)、成果展が行われている郡山女子大学で、ワークショップとトークイベントを開催しました。

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今回の成果展では、会場となる郡山女子大学様との協働が様々な形で実現されました。
その一つが、中山晴奈さんをお招きしての、福島の多様な食文化に関するワークショップとトークイベントです。

郡山女子大学には、福島県内の食文化を伝える食具のコレクションがあります。
夏頃、それらを整理し、どのように活用するかを学生さんたちと一緒に考えるところからスタートしました。
成果展では、食具の一部を中山さんアレンジで展示しました。

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その器たちは、どのような場面で使われ、どのような料理が盛りつけられたのか。
それを体験するワークショップが行われました。

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きのこごはん、八杯汁、切り昆布煮、カレイの煮付けが本日の献立。
3班に分かれて、それぞれ同じ献立を作ります。
八杯汁はお盆や法事などで作られる汁物。名前の由来は8人分だとか、美味しくて8杯食べられるからだとか、様々です。全ての具材を細切りにするのが特徴で、お豆腐も拍子切りにします。
面白いことに、福島以外にも各地にあるのですが、それぞれ自分の所にしかないと思っているらしいということを、中山さんから教わりました。
切り昆布は、浜通りで加工されていますが、主に食されているのは中通りです。原材料は北海道からもたらされ、すばやく美味しく食べられるように絶妙にブレンドされているとのこと。
食には流通の面白さや、技術の妙が凝縮されています。

今回のワークショップで、中山さんは調味料の量を指定しませんでした。中山さんのお話と、これまでの経験から、それぞれの班で味付けをします。
想像力が試されます。
これには郡山女子大学の食物栄養学科の先生も「面白い!」と、興味津々です。

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できあがったものは、3班でそれぞれ見事に違うものになりました。
具材の切り方が大きいもの、小さいもの、汁気が多いもの、少ないもの。
提示された材料から、何を想像し、何を実現するか。とても面白い実験となりました。

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カレイの煮付け担当は、考古学がご専門の會田先生。
エプロン姿が異常に似合います。
とてもきめ細やかに、煮付けを仕上げていただきました。

こうした料理の他に、「せっかく女子大なのだから」ということで、中山さん考案のスイーツが作られました。
テーマは、山・海・石・苗・空。
素材は色々。それを盛りつけて名前を付けることで、ココアケーキが土になり、寒天が海になります。
「見立て」という想像力の力が、そこにはあります。

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さて、いよいよお待ちかねの実食です。
博物館からお持ちした様々な漆器を、学生のみなさんに自分で選らんでもらい、そこに盛りつけてもらいました。
「わあーきれい!」「凄い!!触っていいんですか?」と楽しそうに器を選んでいただきました。

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普段、本物の漆の器で食べることは少なくなってきていますが、このワークショップで漆器のお膳で食べる晴れやかさを体験してもらえたのではないでしょうか。

調理の合間には、思い出の食事についてみなさんにお聞きしました。

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ほのぼのしたものから、強烈なものまで、みなさんの食体験は様々です。
食は鮮明な記憶となります。その味や香りによって、記憶がふっとよみがえります。
その時、そこには誰がいたのか、どんな場面だったか、どんな気持ちだったか。
みなさん、とても楽しそうに語っていただきました。これが食の力なのだと、改めて感じた瞬間でした。

ワークショップの後は、民俗学者の野澤先生と中山さんのトークです。

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はま・なか・あいづ、それぞれの土地に根ざした食文化についてお話しいただきました。
それぞれの土地の季候や風土によって、いかに食は多様であることか。
スーパーやコンビニに行けば、全国で同じ食べ物が手に入りますが、そのことによって見失わされているものがあるのではないか。
思い出の食事に見られるように、その記憶は実に私的であり、かつその時一緒にいた人との共有体験でもあります。
地域の伝統食であれば、それはその地域の共通の体験であり、かつそこに生きた人の個別の体験でもあります。

食という最も身近な、身体的な体験だからこそ、そこにはその土地々々の根のようなものが感じられます。
私たちの体を育み、生かす食。
共同体を育む食。
多様な食のあり方が、文化そのものであると感じたトークイベントでした。

9月9日(土)、郡山女子大学で
トークイベント+標葉せんだん太鼓公演「文化でつなぐふるさと」を開催しました。

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講師は本プロジェクト参加作家の岩根愛さんと、
岩根さんが取材を続けている双葉町の盆太鼓奏者、横山久勝さんと今泉春雄さん。

まずは、岩根さんから、ご自身のこれまでの活動についてご紹介いただきました。
ハワイの日系人文化を取材してこられたこと、その中で出会った360°撮影できるパノラマカメラのこと。
ハワイでは日本の移民が伝えた盆踊りが、ボンダンスとして進化し盛んに行われていること。
そこで唄われる盆唄は福島にルーツを持つこと、それに導かれるように福島を取材し始めたこと。。。
震災後に、ハワイによる福島復興支援の中で、避難している福島の学生をハワイに招くという事業がありました。
所在なげにしていた女子高生が、ボンダンスの音色を聞いて、「あ、これ知ってる。福島の盆踊りだ!」と盆踊りに加わって踊り出したことに、岩根さんは衝撃を受けたと言います。
体の中にしまわれているふるさとの音。
その音が揺り動かす何か。
それを探し、ハワイと福島の太鼓による交流を受け持つ中で、
双葉町の盆踊りを伝え残そうと活動されている横山さん、今泉さんに出会われたそうです。

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双葉町は東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故により、帰還困難区域となりました。

民謡の宝庫とされる福島浜通り地方にあって、双葉町も数百年の歴史を持つという双葉盆唄を伝えてきました。
毎年、各地区で盆踊りが催され、「やぐらの競演」という各地区の盆唄・太鼓・笛の競演も行われていたそうです。
その中で横山さん・今泉さんは、双葉の新しい伝統を作ろうと、標葉せんだん太鼓保存会という創作太鼓の会も結成し、盛んに活動していました。

震災後、町民は離ればなれに暮らすことになり、双葉町の盆踊りは存続の危機を迎えることになります。
その中で、横山さん・今泉さんと岩根さんとの出会いが、ハワイに双葉盆唄を伝えるプロジェクトとして始動しました。
当初、ハワイのボンダンスを見て、福島の盆踊りがかくも変化し、しかも盛大に催されているいることにショックを受けたというお二人。
ですが、双葉盆唄をハワイに預け、いつか双葉町に帰る日に、また返してもらうことに託したのだと言います。
日本からハワイに渡った人たちが、遠いふるさとの記憶として大切に伝えてきた盆踊り。
ハワイ風に変化しながらも、そこにはふるさとへの思いが息づいています。
盆踊りは先祖を迎え送る踊り。
自分の中に、土地の中に、流れる血を感じ、継承する踊り。
双葉町を離れて暮らす方々にとって双葉の盆踊りはかけがえのないものなのだと、そこになくてはならないものなのだと、お二人から教えられました。

今年、いわき市にある仮設住宅で復活した「やぐらの共演」で拝見した(競演から共演になりました)、
お二人の様子、双葉町のみなさんの様子が、何よりもそれを物語っています。

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お二人は、岩根さんと出会ったことで明るくなったと言います。
ハワイのボンダンスを知り、その力強さに双葉町の未来を思われたのでしょうか。

「ふるさと」とは何でしょうか。
横山さんは、そこに吹く風であり、そこに寄せる波であり、空気であり、風景であり、音だとおっしゃいました。
盆踊りの音は、そこになくてはならないものなのだと、おっしゃいました。

いつかそこに帰る日に、その風が、その音が響いていますように。

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最後は標葉せんだん太鼓保存会のみなさんの迫力の演奏で締めくくられました。

岩根さん、横山さん、今泉さん
標葉せんだん太鼓保存会のみなさん
ご来場のみなさま
そして、サポートしてくださった郡山女子大学のみなさま
ありがとうございました。

9月6日(水)より、今年度第1回目の成果展が郡山女子大学で始まります。
本日4日(月)は、展示作業でした。
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展示会場は郡山女子大学建学記念講堂展示ロビー。
展示作業には、郡山女子大学の先生方、学生さんたちが参加してくださいました。
展示物の並び順や、展示方法など、一緒に考えてもらいました。
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事前に会場を下見し、展示プランを考えていくものの、やはりやってみないとわからないことも。。。
その場の判断で方針が揺らぐ中、みなさん、一生懸命、展示作業に携わっていただきました。本当にありがとうございました。

今日の展示作業には、参加作家の中山晴奈さんもいらしてくださいました。
はま・なか・あいづの食文化の多様さを、映像作品と郡山女子大学所蔵の食具の展示で表現していただきました。
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本プロジェクト実行委員会委員の、はじまりの美術館・岡部館長も展示作業に!
心強い味方です。
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大概、いつもぎりぎりの展示作業。
今回は郡山女子大学のみなさま、はじまりの美術館・岡部館長、頼りの日通さんによって、無事6日のオープンにこぎつけそうです。
みなさま、本当にありがとうございました。
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8月12日(土)いわき市南台の仮設住宅で、双葉町のみなさんによって「夢ふたば人仮設盆踊り」が開催されました。
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ハワイの日系移民の歴史や文化を取材されてきた、写真家の岩根愛さん。
福島県はハワイへの移民が多かった県の一つ。福島の盆踊りが伝えられ、ハワイでは盆ダンスとして定着しています。
岩根さんは現在、数百年の歴史を持つとされる双葉盆唄をハワイに伝える取り組みを追いかけています。

双葉町の盆踊り。
東京電力福島第一原子力発電所の事故により、帰還困難区域となった双葉町。
毎年盛大に行われていた盆踊りもなくなり、盆唄は存続の危機に瀕しましたが、
双葉町を離れて暮らす太鼓、笛、唄、踊りの名手たちが集い、いわき市の仮設住
宅で盆踊りを復活させました。
今年は6回目の開催となります。

お昼には会場のセッティングがなされ、準備が整えられていきます。
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やぐらの上ではリハーサル。太鼓をたたくのが楽しくて仕方がない、といった様子の標葉せんだん太鼓保存会の横山さんと今泉さん。
やぐらを降りた後も、拍子をとって本番に備えます。

取材・撮影する岩根さんの準備も進められていきます。
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やぐらには、各演奏団体の名称が記された垂れ幕が取り付けられました。
今年9月に成果展を行う郡山女子大学生活芸術学科の学生さんたちがデザインしてくれた垂れ幕です。
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成果展ではこの垂れ幕も展示いたしますので、ぜひご覧ください。

盆踊り開始直前。
岩根さんの360度カメラによって、双葉町のみなさんの集合写真を撮影しました。
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初めて見るカメラに驚きながらも、みなさんとても素敵な笑顔。

こどもたちも楽しそうです。
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さあ、提灯に火が入り、いよいよ盆踊りの開始です。
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宵闇が深まるにつれ、不思議な者たちが現れ始めます。
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そして美しい人も
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盆踊りは死者を迎える踊り。送る踊り。
この怪しげな者たちに交じって、先祖たちも踊っていることでしょう。

最後には岩根さんも盆踊りの輪の中に。
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年に一度の盆踊りを、復活させた人々。
この日には、各地に離れて住む双葉町の住民が集います。
ですが、ここは双葉町ではない、という事実。
その重さを引き受けながら、盆踊りは美しく儚く、楽しく、少し切なく、終わりの時間を迎えました。

9月に郡山女子大学で開催される成果展では
岩根さんが撮影した双葉町の方のポートレイト、集合写真を展示いたします。
9月9日(土)には、岩根愛さん、双葉盆太鼓奏者の横山さん、今泉さんによるトークイベントも開催いたします。
お運びいただけたら幸いです。

京都での成果展に向けたプレトークイベント2日目「痛みの記憶を伝えるために」
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日時:8月5日(土)13:30~15:30
会場:KYOTO-BA 京都場(京都市中京区西ノ京南聖町6-5)
講師:宮本佳明さん(建築家)、藤井光さん(美術家/映画監督)
司会:川延安直(福島県立博物館専門学芸員/はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト実行委員会事務局)

今回は染め物屋さんの作業場だったという空間を使ったギャラリー+宿泊施設。気持ちのよい空間です。
三条商店街のすぐ近く。昔ながらのお豆腐屋さんや食堂と、新しくおしゃれなお店が同居する面白い商店街。おすすめです。

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お一人目は建築家の宮本佳明さん。
災禍、喪失、歴史の積層。。。その表象。
都市や街がその記憶を伝えるためにとった表現の形をご紹介いただきました。
また、阪神淡路大震災で全壊判定を受けたご自宅をリノベーションした「ゼンカイハウス」、東京電力第一原子力発電所を葬るのではなく忘れるのではなく祀り鎮める「福島第一原発神社」構想。
幾重にも示唆的な取り組みをお話しいただきました。

もうお一方は映画監督の藤井光さん。
歴史・記憶を伝え表現すること、モノが語りえること、語りえないこと。
映像が語りえること、えないこと。。。
「文化財」がレスキューされ、からっぽになった博物館の映像は、あるいは更地の映像は何を語り伝えるのでしょうか。
ある歴史の物語を語る装置としての博物館自体について、問いが投げかけられているように感じました。

会場からは、人文学系の学生さんなど若い方からの質問も多く、議論が交わされました。
トークイベントの醍醐味ですね。

今年12月に開催する京都での成果展。
このプレトークイベントが、何らかの下地、呼び水、波紋、となることを願います。

いよいよ本格始動のはま・なか・あいづ文化連携プロジェクト。
今年度は郡山市、福島市、別府市、京都市で成果展を開催予定です。

8月4日(金)・5日(土)に、京都展に向けてのプレトークイベントを京都市内の2会場で行いました。
まずは8月4日に行われた「福島に寄り添った証言者たち」についてご報告します。

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日時:8月4日(金)18:00~20:00
会場:ちおん舎(京都市中京区衣棚三条上る突抜町126)
講師:天野和彦さん(福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任教授/はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト実行委員会委員)
山内正太郎さん(一般社団法人関西浜通り交流会代表理事)
安藤栄作さん(彫刻家)
司会:小林めぐみ(福島県立博物館主任学芸員/はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト実行委員会事務局)

会場のちおん舎さんは、かつて西陣織の呉服屋さんだったという由緒ある町屋。
場のもつ力が、人と人との対話を後押ししてくれました。

最初にお話しいただいたのは、当プロジェクト実行委員会委員でもある天野和彦さん。
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天野さんは、震災直後、福島県最大の避難所だったビッグパレットの運営にあたられました。
どんなにハード面で復興が進んでも、それだけでは人は生きていけない。
希望がなければ人は生きていけない。
ため息に相づちを打ってくれる誰かがいてくれるだけでもいい。そのために人が集える場所作りをされた実践について、お話しをいただきました。
人が人として生きるために、文化が必要なのだという天野さんの言葉は、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトの原動力でもあります。

お二人目は、関西に避難された方々を支援してくださった、関西浜通り交流会の山内正太郎さん。
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東北から遠く離れた関西に避難された方々に対して、こんなにも丁寧に寄り添い、支援してくださった方がいたことを、私たちも初めて知りました。
山内さんの原点は「なぜこの人たち(避難者の方々)は、このような目にあわなければならないのか」という問いだったと言います。他者への想像力。それこそが今、私たちに問われていることではないか、と改めて教えていただきました。

三人目は彫刻家の安藤栄作さん。
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安藤さんは、震災当時いわき市の海沿いにお住まいでした。3月11日はたまたま外出していたため、ご家族ともに難を逃れましたが、お家やアトリエに保管されていたたくさんの作品は失われてしまいました。その後、関西に移られ、福島のことを様々に発信していらっしゃいます。
津波にさらわれた瓦礫の中から見つかったのは、お子さんが小さかった時に贈られたおもちゃや、地域の方が大切にされていた神社の社でした。最後に残るのは、人の人に対する思いなのではないか。目には見えないけれど、確かにそこにある人と人とのつながりのようなものなのではないか。安藤さんのお話しをそう受け取りました。

お話しいただいた内容は三者三様ですが、そこに通底するのは、人の思い、人と人とのつながり、ということなのだと思います。
「つながり」「絆」という言葉で言ってしまうと安易に過ぎる気もしますが、最後に人を支えるのはそこなのではないかと教えていただいたトークでした。

東北人にはつらい夏の京都でしたが、それにも負けぬ熱いトークでした。
これから、各地での成果展、トークイベントなどなど、怒濤のように開催して参ります。
随時、ご報告していきますので、ご一読いただければ幸いです。

今年度、第3回となる成果展を長野県松本市で開催しました。

会期:平成28年12月7日(水)~12月23日(金・祝)
会場:awai art center、中町・蔵シック館、池上邸、信州大学附属図書館中央図書館

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プロジェクト参加作家の本郷毅史さんや、玉井夕海さんのご縁がつながりにつながって、
町中のアートスペースや大学図書館など、4箇所を会場として開催されました。
その分、搬入や展示は大忙し。
松本のみなさんの温かいご協力のもと、何とかぶじ開幕にこぎつけました。

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町中の小さなアートスペース。
岡部昌生さんのフロッタージュ作品を展示しました。
小さな空間ではありますが、そこで岡部さんのイグネ(屋敷林)作品に取り囲まれる体験は、とても親密で新鮮なものでした。
また、カフェスペースには、岡部さんの蔵書も展示されました。実際に手にとって読むことができるという贅沢!

中町・蔵シック館
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松本は蔵の町。蔵を活用した展示・イベントスペースに、夢の学び舎「好間土曜学校」と「豊間ことばの学校」で制作された作品と映像を展示しました。

池上邸
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こちらも蔵を利用した展示空間。
本郷毅史さんの「水源域・福島」と、片桐功敦さんの「Sacrifice」を展示。
松本のお隣、大町市に在住の本郷さんが、毎日通って展示を完成してくださいました。

信州大学附属図書館中央図書館
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岩根愛さんの「Island in my mind」、赤阪友昭さんの「山に生きる」を展示。
ほかにいいたてミュージアムからも作品をお借りして、展示しました。

それぞれの空間のもつ雰囲気と作品との交感。
悩みどころでもあり、学芸員の腕の見せどころでもありますが、さて、今回の仕上がりはいかに(笑)

開催前日の12月6日(火)には、awai art centerでオープニングイベント、クロストーク「岡部昌生フロッタージュプロジェクト 記憶と記録」が開かれました。

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講師は岡部さんご本人と、港千尋さん。
入りきれないほど人が集まり、会場には熱気が漂います。
長年、風雪から家を守ってくれたイグネ(屋敷林)。それらは、放射能汚染除去のためやむなく伐採されました。
また、伐採を免れたものの、被曝し続ける木々。
岡部さんはその断面や樹皮を、いくつもいくつも写し取っています。
それは、広島から福島に続く近代の抱える課題に触れ続ける所作でもあります。

床に置かれた、綿津見神社の大杉の断面は、いつも涙を連想させます。

最終日には、池上邸を会場にクロストーク「間(あわい)としてのふくしま」が開催されました。
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第一部は、参加作家の玉井夕海さんに、信州大学准教授で文化人類学者の分藤大翼さんを聞き手として、豊間ことばの学校で感じ取られたことをお話いただきました。
こどもたちから言葉を引き出すことの難しさ。ステレオタイプの言葉の裏にあるはずの、こどもたち一人一人の抱えた思い。
リズムが、波が、彼らの体に残っていくだろうこと。
人と海を隔てる巨大な壁を、ものともしないこどもたちの強さ。
こどもたちと夕海さんが作った「海のうた」の歌詞が配られ、会場のみなさんと一緒に歌う賑やかなトークになりました。

第二部は松本展開催のきっかけともなったお二人、写真家の本郷毅史さんと、awai art center代表の茂原奈保子さんにお話いただきました。
本郷さんが水源を撮り続けていることの背景には、遠くに行きたいという思いと、帰りたいという思いがあるということ。
相反するようでていて、表裏一体の思いは、人の持つ根源的な問いのように思えます。
どこから来て、どこに行くのか。
不器用でも、答えはでなくても、問い続けることが「現代」に必要なのではないかと思います。

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会場には本郷さんの奥様お手製のパンも並び、和やかな雰囲気に包まれてのトークイベントでした。

白でもなく黒でもない、正でも負でもない、境界にゆらゆらと存在するもの。
間(あわい)としてのアートは、ゆるやかにタブーを越え、静かに波紋をなげかけます。

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今回の成果展も、松本のみなさまの思いによって開催することができました。
ありがとうございました。

2月17日・18日・19日の三日間、今年度2回目となる現地視察ツアー「福島・文化・文化財〜被災地のミュージアムと文化財のこれから〜」を企画実施しました。

2月17日(金) 福島県立博物館
2月18日(土) 南相馬市博物館~南相馬市福浦小学校~朝日座
2月19日(日) アートスペース盛高屋~双葉町歴史民俗資料館~ヘルスケアーふたば~復興祈念公園・アーカイブ拠点施設予定地

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福島県立博物館で開催中の展覧会「アートで伝える考える 福島の今、未来」は、ふくしま震災遺産保全プロジェクトの資料と展示室を共有しています。その見学と展示室でのダイアローグから始まり、南相馬市博物館、レスキューされた文化財が保存されている福浦小学校、そしてレスキューにより展示室がほとんど空になった双葉町歴史民俗資料館、双葉町のご厚意ににより町内の老人介護施設、復興祈念公園予定地を巡りました。

南相馬市博物館で震災前の環境を伝える植物標本の数々を見た後、福浦小学校に向かいました。同校は南相馬市小高区にあるごく普通の鉄筋コンクリート造の小学校ですが、そこに通う生徒はいません。代わりに教室のいくつかには民具や文書が所狭しと収蔵されています。子どもたちが毎朝登校したであろう玄関に一艘の木造の小舟が置かれていました。
福島県立博物館の総合展示室にはかつて浪江町請戸の沿岸で使われていた木造船が展示されています。その舟をすぐに思い出しました。これら資料は、もとのあるべき場所を離れ、幾度もの流転を経て、かつての子どもたちの学び舎にたどり着いたのでした。今も流転は続いているのです。

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二日目最後は南相馬市原町区の映画館朝日座でこの日の振り返りを行ないました。初対面のグループでの対話に戸惑った方もおられましたが、登録文化財の建物で行った対話は貴重な体験となったようです。朝日座を楽しむ会のみなさまありがとうございました。

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三日目は、いわき駅前のアートスペースとしてすっかり地域に定着したもりたか屋さんでのレクチャーからスタート。双葉町歴史民俗資料館学芸員の吉野さんから震災後の双葉町の現状をお聞きし、双葉町に向かいました。

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警戒区域のゲートでチエックを受け、町内へ。子どもたちが学ぶべき場所に資料が詰め込まれた小学校の裏返しのように双葉町歴史民俗資料館の展示室にあるべきはずの展示資料は今はありません。警戒区域にある同館の資料はほとんどがすでにレスキューされています。吉野学芸員さんが話していました。資料館には学校帰りの子どもたちが良く遊びに来ていたそうです。子どもたちはごく自然に地域の文化と文化財に親しんでいたことでしょう。資料館は地域の文化に育ちつつありました。

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次いで訪れた老人介護施設の中は、電気が切られ闇に包まれた資料館とは対称的に大きな天窓から冬の日差しがさんさんと降り注いでいたました。ここも福島県内にいくつもある一日だけの避難所の一つです。室内のテーブルにはチラシを折って作られたくず入れが置かれていました。それはおそらくリハビリの一環でもあったのでしょう。くず入れの中にはお菓子の袋が入っていました。さっきまでそこの陽だまりで楽しい茶飲み話しが行われていたかのようです。

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南相馬市の詩人若松丈太郎さんは、原発事故の避難によって人影が消えた町を「神隠し」にあったと綴りました。神隠しはこの一帯でリアルとなりました。受付には胡蝶蘭の鉢が置かれ鮮やかな花が垂れ下がっていました。触れてみましたが、それはプラスチックでした。

根ざした地を離れ仮の場に置かれ続けるモノたちがいる。安住の地を得て、子どもたちの声に応え地域の文化に貢献していた資料館のモノたちはそこを追われた。モノたちと同じ苦難にある福島の人たちを思わずにはいられません。

21世紀の神隠しの記憶は文化財でしょうか。少なくとも、この記憶を伝え残す努力は、将来、文化と呼ばれても良いのではないでしょう。
ツアーの最後に立ったのは復興祈念公園予定地。双葉町の橋本係長様に計画をご説明いただきました。復興拠点のこの場から双葉町が再生することを祈ります。

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今回のツアーでは、終始映像監督の藤井光さんが同行し記録映像を撮影しました。今回のツアーが文化財となる日に備えて。

(川延安直)

福島の現状を紹介し、参加者のみなさんと共に福島について考える「伝える考える福島の今プロジェクト」。
写真家の土田ヒロミさんの写真と風景を巡るトークイベントと現地視察ツアー「福島の風景から読むFUKUSHIMA」を開催しました。

11月19日(土)トークイベント 会場:県庁南再エネビル
11月20日(日)現地視察ツアー コース:福島市~飯舘村~南相馬市~浪江町~大熊町~いわき市~福島市

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1日目のトークイベントは三本立てで行われました。
「福島の風景から読むFUKUSHIMA~土田ヒロミ WORKS 2011-2016~から」
講師:木下直之氏(東京大学教授・文化資源学)、土田ヒロミ氏(写真家)

「福島の文化財保存の現状について」
講師:鎌田清衛氏(おおくまふるさと塾顧問、大熊町文化材保護審議委員)

「福島の農業復興計画現状について」
講師:菅野宗夫氏(農業、福島再生の会副理事長)

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日本の近代を独自の視点で切り取り、博物館や文化財の制度を問い直している木下直之さんを聞き手に、
土田ヒロミさんが、ご自身が撮影された福島の風景について語りました。

土田さんの手法のひとつに定点観測があります。
最初、震災や原発事故があっても変わらぬ美しい風景を捉えようとされていたそうですが、
同じ場所を撮り続けるうちに写し出されたのは、風景の変質でした。
2016年も、原発事故によってもたらされた風景の有り様を追っておられます。

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鎌田清衛さんは、故郷大熊町の歴史や文化を記録し伝える活動をされています。
原発事故によって帰還困難区域となった故郷。
一時帰宅の折に、地域に伝わる石碑などをフロッタージュで写し取っています。

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菅野宗夫さんは飯舘村で農業を営んでおられました。
今、飯舘村の農地は除染が進み、丹念に肥やしてきた表土が剥ぎ取られ、その上に灰色の山土がまかれています。
飯舘村でどうやって農業を再開させられるのか、ご自宅を大学等に開放し、研究を続けていらっしゃいます。

鎌田さん、菅野さんは、淡々と出来事を語ります。
菅野さんは「私は前向きなんだ」とおっしゃいます。
原発事故によってもたらされた否応もない変化に対して、切実な思いから行動されているお二人。
その土地に足をつけて生きてきた人の悲しさ、強さを感じたトークでした。

2日目はバスに乗り、土田さんのガイドで被災地を巡りました。
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飯舘村や海辺の町には、
かつて田んぼだった場所に、汚染された土を入れたフレコンバックが積み上げられています。
整然と台形に積まれたそれは、現代の病がつくりだした神殿のように見えます。

飯舘村では、フレコンバックの山の道路を挟んで向かいに、ソーラーパネルが立ち並んでいました。
参加者のお一人が後におっしゃった、これらは本質的に異ならないのではないか、という言葉は、受け止めなければならないとても重い提言です。

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その後、飯舘村の山津見神社を見学。
オオカミを神の使いとする珍しい神社です。
全村避難後の2012年4月、拝殿が火災で失われてしまいましたが、
今は再建され、東京藝術大学保存修復日本画研究室によって復原されたオオカミの天井画を拝見することができます。
地域の信仰と文化を伝えることの危機と、新たな取り組みの双方を学びました。

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菅野さんの飯舘村のご自宅で、農業再生に向けた取り組みについてうかがいました。
自分たちで行える除染方法の開発、稲の試験栽培、土を使わない点滴型栄養栽培などを行っておられます。
道は遠い。けれど起こったことに対して、自分の目で、手で確かめ、少しでも前へ向いて動いていかなければ、何も変わらない。
菅野さんの信念に打たれます。

そして浪江町請戸へ。
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津波の被害、原発事故による避難。
震災後数年は、津波の爪痕をまざまざと残す荒野でした。
最近は瓦礫や住宅跡の撤去がすすみ、更地となっている部分もあります。
そうして、そこに人が住んでいたという事実、記憶はどんどん失われていきます。
この風景を私たちはどのように捉えたらいいのか。

今回のツアーでは、土田ヒロミさんの案内により、福島の変容する風景を巡りました。
実際に見て感じること。
講師のみなさんのお話をうかがい、参加者どうし対話を重ねること。
そうして伝わることは、報道等では知ることのできない重みを持っています。

このツアーは、いわゆるダークツーリズムの一つと言えるでしょう。
参加者のみなさんと対話をしながら、私たち自身もその正の側面、負の側面の両方を見据え、
何を伝えられるのか、何が得られるのか、慎重に考えていかなければなりません。