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今年度、第3回となる成果展を長野県松本市で開催しました。

会期:平成28年12月7日(水)~12月23日(金・祝)
会場:awai art center、中町・蔵シック館、池上邸、信州大学附属図書館中央図書館

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プロジェクト参加作家の本郷毅史さんや、玉井夕海さんのご縁がつながりにつながって、
町中のアートスペースや大学図書館など、4箇所を会場として開催されました。
その分、搬入や展示は大忙し。
松本のみなさんの温かいご協力のもと、何とかぶじ開幕にこぎつけました。

awai art center
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町中の小さなアートスペース。
岡部昌生さんのフロッタージュ作品を展示しました。
小さな空間ではありますが、そこで岡部さんのイグネ(屋敷林)作品に取り囲まれる体験は、とても親密で新鮮なものでした。
また、カフェスペースには、岡部さんの蔵書も展示されました。実際に手にとって読むことができるという贅沢!

中町・蔵シック館
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松本は蔵の町。蔵を活用した展示・イベントスペースに、夢の学び舎「好間土曜学校」と「豊間ことばの学校」で制作された作品と映像を展示しました。

池上邸
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こちらも蔵を利用した展示空間。
本郷毅史さんの「水源域・福島」と、片桐功敦さんの「Sacrifice」を展示。
松本のお隣、大町市に在住の本郷さんが、毎日通って展示を完成してくださいました。

信州大学附属図書館中央図書館
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岩根愛さんの「Island in my mind」、赤阪友昭さんの「山に生きる」を展示。
ほかにいいたてミュージアムからも作品をお借りして、展示しました。

それぞれの空間のもつ雰囲気と作品との交感。
悩みどころでもあり、学芸員の腕の見せどころでもありますが、さて、今回の仕上がりはいかに(笑)

開催前日の12月6日(火)には、awai art centerでオープニングイベント、クロストーク「岡部昌生フロッタージュプロジェクト 記憶と記録」が開かれました。

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講師は岡部さんご本人と、港千尋さん。
入りきれないほど人が集まり、会場には熱気が漂います。
長年、風雪から家を守ってくれたイグネ(屋敷林)。それらは、放射能汚染除去のためやむなく伐採されました。
また、伐採を免れたものの、被曝し続ける木々。
岡部さんはその断面や樹皮を、いくつもいくつも写し取っています。
それは、広島から福島に続く近代の抱える課題に触れ続ける所作でもあります。

床に置かれた、綿津見神社の大杉の断面は、いつも涙を連想させます。

最終日には、池上邸を会場にクロストーク「間(あわい)としてのふくしま」が開催されました。
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第一部は、参加作家の玉井夕海さんに、信州大学准教授で文化人類学者の分藤大翼さんを聞き手として、豊間ことばの学校で感じ取られたことをお話いただきました。
こどもたちから言葉を引き出すことの難しさ。ステレオタイプの言葉の裏にあるはずの、こどもたち一人一人の抱えた思い。
リズムが、波が、彼らの体に残っていくだろうこと。
人と海を隔てる巨大な壁を、ものともしないこどもたちの強さ。
こどもたちと夕海さんが作った「海のうた」の歌詞が配られ、会場のみなさんと一緒に歌う賑やかなトークになりました。

第二部は松本展開催のきっかけともなったお二人、写真家の本郷毅史さんと、awai art center代表の茂原奈保子さんにお話いただきました。
本郷さんが水源を撮り続けていることの背景には、遠くに行きたいという思いと、帰りたいという思いがあるということ。
相反するようでていて、表裏一体の思いは、人の持つ根源的な問いのように思えます。
どこから来て、どこに行くのか。
不器用でも、答えはでなくても、問い続けることが「現代」に必要なのではないかと思います。

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会場には本郷さんの奥様お手製のパンも並び、和やかな雰囲気に包まれてのトークイベントでした。

白でもなく黒でもない、正でも負でもない、境界にゆらゆらと存在するもの。
間(あわい)としてのアートは、ゆるやかにタブーを越え、静かに波紋をなげかけます。

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今回の成果展も、松本のみなさまの思いによって開催することができました。
ありがとうございました。

2月17日・18日・19日の三日間、今年度2回目となる現地視察ツアー「福島・文化・文化財〜被災地のミュージアムと文化財のこれから〜」を企画実施しました。

2月17日(金) 福島県立博物館
2月18日(土) 南相馬市博物館~南相馬市福浦小学校~朝日座
2月19日(日) アートスペース盛高屋~双葉町歴史民俗資料館~ヘルスケアーふたば~復興祈念公園・アーカイブ拠点施設予定地

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福島県立博物館で開催中の展覧会「アートで伝える考える 福島の今、未来」は、ふくしま震災遺産保全プロジェクトの資料と展示室を共有しています。その見学と展示室でのダイアローグから始まり、南相馬市博物館、レスキューされた文化財が保存されている福浦小学校、そしてレスキューにより展示室がほとんど空になった双葉町歴史民俗資料館、双葉町のご厚意ににより町内の老人介護施設、復興祈念公園予定地を巡りました。

南相馬市博物館で震災前の環境を伝える植物標本の数々を見た後、福浦小学校に向かいました。同校は南相馬市小高区にあるごく普通の鉄筋コンクリート造の小学校ですが、そこに通う生徒はいません。代わりに教室のいくつかには民具や文書が所狭しと収蔵されています。子どもたちが毎朝登校したであろう玄関に一艘の木造の小舟が置かれていました。
福島県立博物館の総合展示室にはかつて浪江町請戸の沿岸で使われていた木造船が展示されています。その舟をすぐに思い出しました。これら資料は、もとのあるべき場所を離れ、幾度もの流転を経て、かつての子どもたちの学び舎にたどり着いたのでした。今も流転は続いているのです。

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二日目最後は南相馬市原町区の映画館朝日座でこの日の振り返りを行ないました。初対面のグループでの対話に戸惑った方もおられましたが、登録文化財の建物で行った対話は貴重な体験となったようです。朝日座を楽しむ会のみなさまありがとうございました。

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三日目は、いわき駅前のアートスペースとしてすっかり地域に定着したもりたか屋さんでのレクチャーからスタート。双葉町歴史民俗資料館学芸員の吉野さんから震災後の双葉町の現状をお聞きし、双葉町に向かいました。

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警戒区域のゲートでチエックを受け、町内へ。子どもたちが学ぶべき場所に資料が詰め込まれた小学校の裏返しのように双葉町歴史民俗資料館の展示室にあるべきはずの展示資料は今はありません。警戒区域にある同館の資料はほとんどがすでにレスキューされています。吉野学芸員さんが話していました。資料館には学校帰りの子どもたちが良く遊びに来ていたそうです。子どもたちはごく自然に地域の文化と文化財に親しんでいたことでしょう。資料館は地域の文化に育ちつつありました。

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次いで訪れた老人介護施設の中は、電気が切られ闇に包まれた資料館とは対称的に大きな天窓から冬の日差しがさんさんと降り注いでいたました。ここも福島県内にいくつもある一日だけの避難所の一つです。室内のテーブルにはチラシを折って作られたくず入れが置かれていました。それはおそらくリハビリの一環でもあったのでしょう。くず入れの中にはお菓子の袋が入っていました。さっきまでそこの陽だまりで楽しい茶飲み話しが行われていたかのようです。

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南相馬市の詩人若松丈太郎さんは、原発事故の避難によって人影が消えた町を「神隠し」にあったと綴りました。神隠しはこの一帯でリアルとなりました。受付には胡蝶蘭の鉢が置かれ鮮やかな花が垂れ下がっていました。触れてみましたが、それはプラスチックでした。

根ざした地を離れ仮の場に置かれ続けるモノたちがいる。安住の地を得て、子どもたちの声に応え地域の文化に貢献していた資料館のモノたちはそこを追われた。モノたちと同じ苦難にある福島の人たちを思わずにはいられません。

21世紀の神隠しの記憶は文化財でしょうか。少なくとも、この記憶を伝え残す努力は、将来、文化と呼ばれても良いのではないでしょう。
ツアーの最後に立ったのは復興祈念公園予定地。双葉町の橋本係長様に計画をご説明いただきました。復興拠点のこの場から双葉町が再生することを祈ります。

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今回のツアーでは、終始映像監督の藤井光さんが同行し記録映像を撮影しました。今回のツアーが文化財となる日に備えて。

(川延安直)

福島の現状を紹介し、参加者のみなさんと共に福島について考える「伝える考える福島の今プロジェクト」。
写真家の土田ヒロミさんの写真と風景を巡るトークイベントと現地視察ツアー「福島の風景から読むFUKUSHIMA」を開催しました。

11月19日(土)トークイベント 会場:県庁南再エネビル
11月20日(日)現地視察ツアー コース:福島市~飯舘村~南相馬市~浪江町~大熊町~いわき市~福島市

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1日目のトークイベントは三本立てで行われました。
「福島の風景から読むFUKUSHIMA~土田ヒロミ WORKS 2011-2016~から」
講師:木下直之氏(東京大学教授・文化資源学)、土田ヒロミ氏(写真家)

「福島の文化財保存の現状について」
講師:鎌田清衛氏(おおくまふるさと塾顧問、大熊町文化材保護審議委員)

「福島の農業復興計画現状について」
講師:菅野宗夫氏(農業、福島再生の会副理事長)

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日本の近代を独自の視点で切り取り、博物館や文化財の制度を問い直している木下直之さんを聞き手に、
土田ヒロミさんが、ご自身が撮影された福島の風景について語りました。

土田さんの手法のひとつに定点観測があります。
最初、震災や原発事故があっても変わらぬ美しい風景を捉えようとされていたそうですが、
同じ場所を撮り続けるうちに写し出されたのは、風景の変質でした。
2016年も、原発事故によってもたらされた風景の有り様を追っておられます。

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鎌田清衛さんは、故郷大熊町の歴史や文化を記録し伝える活動をされています。
原発事故によって帰還困難区域となった故郷。
一時帰宅の折に、地域に伝わる石碑などをフロッタージュで写し取っています。

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菅野宗夫さんは飯舘村で農業を営んでおられました。
今、飯舘村の農地は除染が進み、丹念に肥やしてきた表土が剥ぎ取られ、その上に灰色の山土がまかれています。
飯舘村でどうやって農業を再開させられるのか、ご自宅を大学等に開放し、研究を続けていらっしゃいます。

鎌田さん、菅野さんは、淡々と出来事を語ります。
菅野さんは「私は前向きなんだ」とおっしゃいます。
原発事故によってもたらされた否応もない変化に対して、切実な思いから行動されているお二人。
その土地に足をつけて生きてきた人の悲しさ、強さを感じたトークでした。

2日目はバスに乗り、土田さんのガイドで被災地を巡りました。
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飯舘村や海辺の町には、
かつて田んぼだった場所に、汚染された土を入れたフレコンバックが積み上げられています。
整然と台形に積まれたそれは、現代の病がつくりだした神殿のように見えます。

飯舘村では、フレコンバックの山の道路を挟んで向かいに、ソーラーパネルが立ち並んでいました。
参加者のお一人が後におっしゃった、これらは本質的に異ならないのではないか、という言葉は、受け止めなければならないとても重い提言です。

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その後、飯舘村の山津見神社を見学。
オオカミを神の使いとする珍しい神社です。
全村避難後の2012年4月、拝殿が火災で失われてしまいましたが、
今は再建され、東京藝術大学保存修復日本画研究室によって復原されたオオカミの天井画を拝見することができます。
地域の信仰と文化を伝えることの危機と、新たな取り組みの双方を学びました。

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菅野さんの飯舘村のご自宅で、農業再生に向けた取り組みについてうかがいました。
自分たちで行える除染方法の開発、稲の試験栽培、土を使わない点滴型栄養栽培などを行っておられます。
道は遠い。けれど起こったことに対して、自分の目で、手で確かめ、少しでも前へ向いて動いていかなければ、何も変わらない。
菅野さんの信念に打たれます。

そして浪江町請戸へ。
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津波の被害、原発事故による避難。
震災後数年は、津波の爪痕をまざまざと残す荒野でした。
最近は瓦礫や住宅跡の撤去がすすみ、更地となっている部分もあります。
そうして、そこに人が住んでいたという事実、記憶はどんどん失われていきます。
この風景を私たちはどのように捉えたらいいのか。

今回のツアーでは、土田ヒロミさんの案内により、福島の変容する風景を巡りました。
実際に見て感じること。
講師のみなさんのお話をうかがい、参加者どうし対話を重ねること。
そうして伝わることは、報道等では知ることのできない重みを持っています。

このツアーは、いわゆるダークツーリズムの一つと言えるでしょう。
参加者のみなさんと対話をしながら、私たち自身もその正の側面、負の側面の両方を見据え、
何を伝えられるのか、何が得られるのか、慎重に考えていかなければなりません。

写真美術館プロジェクトの成果展を新潟県新発田市で開催しました。

福島写真美術館プロジェクト成果展+PLUS 新発田
会期:2016年10月19日(水)~11月4日(金)
会場:金升酒造 二號蔵ギャラリー

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写真の町シバタ・プロジェクトとの幸福な出会いにより、開催のはこびとなりました。
+PLUSには、写真美術館プロジェクト以外の写真作品も、という意味のほか、
新発田との出会いという意味も込められています。

会場は金升酒造の二號蔵。現在も実際にお酒が仕込まれている生きた蔵です。

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中にはお酒の発酵するよい香りが満ち、ほろ酔い気分での展示作業。

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1階には片桐功敦さん「Sacrifice」
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安田佐智種さん「未知〈みち〉の道」
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2階は
土田ヒロミさん「願う者は叶えられるか」
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高杉記子さん「Fukushima Samurai」
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本郷毅史さん「水源域・福島」
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赤阪友昭さん「山で生きる」
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岩根愛さん「Island in my mind」
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村越としやさん「福島2015」、赤間政昭「飯舘村飯樋町の田植え踊り」(映像作品)
すみません。写真を撮り忘れました・・・。

蔵自体が放つ存在感、縦と横に走る柱のリズム
それらとあいまって、とても雰囲気のよい展示になりました。

トークイベントも充実の3本立て。
10月18日(火)
オープニングイベントトークセッション「写真家の見た福島」
福島写真美術館プロジェクト参加作家の片桐功敦さん、本郷毅史さんを講師にお招きし、
お二人が福島にどう向き合い、作品を制作されてきたのか、お話いただきました。
怒りをモチベーションとして制作していたという片桐さん、
水源域にいる時は喜びしか感じないという本郷さん、
対称的なお二人の作品は、だからこそなのか、不思議と響き合います。
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10月26日(水)
トークイベント「写真の力と土地の記憶」
写真評論家の飯沢耕太郎さんと、福島写真美術館プロジェクト参加作家の村越としやさんがこの日の講師です。
飯沢さんからは震災以前の東北、震災以後の東北、一変してしまった風景、写真家はそれらに何を見て、何を伝えるのかというお話をいただきました。
村越さんはご自身の出身地である須賀川の風景や遺跡を撮影されています。村越さんのお話からは、変わらぬ風景、ここではないどこかでもあり得るかもしれない風景、しかし何かが変わってしまった風景、それを鋭敏に感じ取る写真家の目というものを感じました。

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11月2日(水)
トークイベント「写真と記憶 シバタ・フクシマ」
この展覧会を開催するきっかけともなったお二人、
写真家・著述家の港千尋さん、写真の町シバタ・プロジェクト実行委員の原亜由美さんが講師です。
原さんからは写真の町シバタの取り組みをご紹介いただきました。お家に残る古い写真とそれにまつわる物語を収集し、町の記憶を町中に展示する活動はとてもユニークです。
港さんは、過去と今をつなぐ写真の力、過去や思いを物質化・身体化する写真の力についてお話くださいました。
この日は、参加作家の高杉記子さん、岩根愛さんも会場におられ、作家本人からお話をうかがう貴重な機会ともなりました。
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会場にお集まりいただいたみなさんは、とても真剣に深く福島のことを受け止め、共に考えてくださいました。
新発田のみなさんとの出会いは、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトの誇りです。

トーク会場となった金升酒造蔵カフェもとても雰囲気がよく、みなさまと共に素敵な時間を過ごすことができました。

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そして、本展示の最後のイベントは、11月3日(木・祝)に行われたギャラリートーク。
午前の部には、今年5月に開催した「FUKUSHIMA SPEAKS アートで伝える考える 福島の今、未来 in NAGAOKA」でご一緒した、
長岡造形大学の小林花子先生と学生さんたちが来てくれました。
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午前のギャラリートークには昨日に引き続き、写真家の高杉記子さんと岩根愛さんも登場。
ご本人からの説明に、学生さんたちも真剣に聞き入っています。
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参加者からは、お二人がどのような意識で被写体の人物に向かわれているのか?という質問がありました。
撮影している方から逆に自分が見られているという恐ろしさ、本当に撮っていいのかという逡巡、
丁寧に取材を重ねられているお二人だからこその生の声。
ある覚悟をもって、当プロジェクトに参加してくださっていることに、改めて深く感謝いたします。

今回の新発田展は港さんと原さんの出会い、原さんと私たちとの出会い、写真の町シバタ・プロジェクトのみなさんとの出会い、
長岡のみなさんとの出会い・・・
そんな出会いの数々に支えられた展示でした。
ここには書き切れない、数々のつながりの結節点であり、またここから何かが始まりそうな予感をはらんだ新発田での展示。
充足感を胸に帰途に着きつつ、次の成果展の準備にとりかかります。

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2016年9月14日(水)、21日(水)、28日(水)
3回にわたって、夢の学び舎―いわき学校プロジェクト― 豊間ことばの学校が、いわき市立豊間小学校で行われました。
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講師は歌手・女優の玉井夕海さん。
みんなで海のうたをつくります!

豊間小学校は海にとても近い場所にあります。
東日本大震災では津波の被害を受け、
現在、学校の周辺はものすごいスピードで造成がすすめられ、海には防潮堤が造られています。
ここで、こどもたちに海のことを聞いていいのか、実は迷いがありました。
ですが、そんな心配をよそに、こどもたちは海が大好きで、自分たちの海のうたを歌ってくれました。

9月14日(水)
第1回目は、自分のなかにある海を描いてもらいました。
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最初は、お友達グループで似たような絵を描いていたこどもたちも、
夕海さんの歌を聴いているうちにリラックスしてきたのか、どんどん自分の海を描き出しました。
青い海、赤い海、お魚の海・・・、とても豊かな海。

夕海さんともすぐに仲良しになりました。
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9月21日(水)
前回、描いてもらった海の絵を見ながら、海について言葉にしていきます。
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絵を描く時はあんなに自由だったのに、言葉にするとなると急にわかりやすい言葉しか出てきません。
サーフィン、イルカ、くじら、たこ、いか・・・
夕海さんはそれぞれの言葉を掘り下げ、紐解いていきます。

みんな、海は好き?恐い?
好き!!
豊間の海で見たことある生き物にしようよ!
今は壁ができて、海に行けないよね?壁のことどう思う?
壁なんて気持ちの問題!
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どんな海のうたがいい?
歌って踊れる、のりのりのやつがいい!

ということで、
夕海さんは、次回までにロックでパンクな海のうたをつくってくることになりました。
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(この写真は、ロックな海のうたというお題が出される前のものですが、こんな感じで悩んでいます笑)

9月28日(水)
夕海さんが一週間考えてきたうたを、みんなで歌って演奏します。
まずは先週出してもらった言葉をもとに夕海さんが考えた歌詞をみんなで検討します。
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中には、「そんな歌詞いやだ!」という声も。
そこには自分の好きな歌詞を入れてもいいことにします。
こうして歌詞が完成しました。

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いよいよ演奏です。
夕海さんがこどもたちの希望にこたえ、造ってきてくれたのは、
ズッツチャッチャ ズッツチャッチャ
というリズムが楽しい、コール&レスポンスのジャンガラ調ロックンロール!
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大太鼓がリズムの要。小太鼓とティンパニーで華やかに。
椅子も立派なリズム楽器。
木琴と鉄琴は間奏時のメロディ担当です。

最初はばらばらだったリズムも、練習するうちにまとまってきました。
次はリズムにのせて、歌います。
もうほとんど大絶叫。ものすごいパワーです。
一番前の女の子は頭をふりながら歌っています。ロックンロール!

思いを言葉にする力、言葉を伝える力、言葉を受け取る力
そんな言葉の力を育てたいという学校の要望から、豊間ことばの学校は始まりました。
3年がたち、自分たちの海のうたができ、
こどもたちから「タイトルは-?」という声があがりました。
この歌をもっともよく表す言葉を見つけようと、みんなが自分で言い出してくれました。
時間がせまっていたので、いくつかの案から決定することはできず、それは夕海さんとみんなの宿題となりましたが、
豊間ことばの学校が、確かに意味のある活動だったと感じられた瞬間でした。

うたがうまいのはひばり(ひばり)
そこにあるのは灯台(灯台)
なぜかたくさんショベルカー
われら海の子 豊間の子 はい!

なみにのるのはサーフィン(サーフィン)
つりをするのはおじさん(ぼくも)
めかぶたくさん食べた(おいしい)
あそびつかれてくじらになって あそぶぜ!

ながれついたのうんち(うんち)
さけんだのはおかあさん(おかあさん)
きょうかしょでよんだスイミー(スイミー)
ちいさな魚ががんばるお話

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くじら みなみかぜ いか すいか はい!

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海はひろいな 大きいな はい!

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成果展、今年度第2弾を足利市で開催しました。

アートで伝える考える 福島の今、未来 in ASHIKAGA
会期:9月6日(火)~9月14日(水)
会場:足利商工会議所1階 ギャラリーカッサ、市民ギャラリー

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今回の成果展では、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトが実施しているプロジェクトのうち、「岡部昌生フロッタージュプロジェクト」「福島写真美術館プロジェクト―南相馬環境記録プロジェクト」で制作された作品を展示しました。

フロッタージュの技法で都市、地域、近代の記憶の記録に取り組むアーティスト・岡部昌生さん。2012年、津波被害と原発事故の大きな被害を受けた南相馬市からプロジェクトを展開。その後、飯舘村・大熊町など原発事故の被害を強く受けた地域にプロジェクトは展開しています。今回はその中から、出発点となった南相馬市での作品を展示しました。
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土間に刻まれた擦過痕
テトラポッドに付着するフジツボの死骸
耕地整理の碑
津波被害の大きかった沿岸部は、もともとは広大な湿地帯でした。そこを干拓して耕地となし、人々は暮らしてきました。津波によってその地はもう一度人の手から奪われ、海にもどりつつありましたが、現在ではまた排水が行われ、人の利用する土地として整備が進められています。
自然をつくり変え、利用してきた人間の歴史。それを無に帰す自然の力。岡部さんの作品は双方の痕跡を写し取ります。

花道みささぎ流家元の片桐功敦さんは、2013・2014年に本プロジェクトに参加。南相馬氏に長期滞在をし、亡くなった命に捧げる花を撮影しました。
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廃墟となってしまった建物、そこに取り残された長靴や車に、野で摘んだ花が、
南相馬の縄文土器に食すことの許されない稲穂が、津波によって再生した花が活けられています。
鎮魂、悲しみ、怒り。
それらを引き受けてなお、草花は静かにそこにあります。

9月10日(土)にトークイベント、11日(日)にギャラリートークを行いました。
トークイベントは「足尾の記憶・福島の未来」と題し、
川島健二さん(民俗学研究者・群馬県邑楽町文化材保護調査委員)、皆川俊平さん(WATARASE Art Project代表)、篠原誠司さん(足利市立美術館学芸員)にご登壇いただきました。
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川島さんは、足尾銅山鉱毒事件に際しての田中正造の発言や行動を丹念に追い、田中正造の思想がその土地に移り住んだことによって生成されてきたことをお話くださいました。
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皆川さんからは、WATARASE Art Projectの考え方や、取り組みについてお話いただきました。
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元鉱夫たちの住宅群を展示会場にする活動では、アーティストがそれぞれに地域と関わり作品を制作し、部屋という内密な空間・体験からかすかに足尾のことが見えてくるといいます。アーティストは境界をゆるがし、触れてはいけないことにさらっと触れる存在。
「地域のため」の活動ではないと言い切る皆川さんに潔さを感じました。

近現代のエネルギー開発と、それによる自然の破壊、村の破壊の歴史。そこに人々はいかに関わってきたのか。
足尾の歴史を繰り返してしまった福島。
語り合い、学ぶことは多く、この場を足利市・足尾の方と共有できたことは、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトにとってとても大切な出来事でした。

11日のギャラリートークにも、多くの方に来場していただきました。
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作品のもつ強さが、見る人それぞれの心に根をおろし、何らかのきっかけとなる。
そう願い、展示の解説はひかえめに作られています。
それは時にわかりにくさになってしまうかもしれません。
このようなギャラリートークによって、少しずつ互いの理解を深めていくことができたら幸いです。

今回の成果展では、
これまで、はな・なか・あいづ文化連携プロジェクトの活動を通してつながりをもった方々が
展示を手伝いに来てくださったり、教え子に紹介してくださったりしました。
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このような人と人とのつながりが、本プロジェクトの財産です。
今回の展示を見に来てくださったみなさま、ご協力いただいたみなさま、
本当にありがとうございました。

2016年9月9日(金)・10日(土)
黒塚発信プロジェクトの公演「KUROZUKA 闇の光」が、安達ヶ原ふるさと村で開催されました。

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安達ヶ原の鬼婆伝説。
都の姫に使える乳母が、姫の病を癒すという生き肝を求め、安達ヶ原に流れ着く。
乳母は旅の女を殺し、念願の生き肝を手に入れる。
しかし、その女の懐中に乳母が見たのは、都に残してきた娘に渡したお守りだった。
悲しみのため、乳母は鬼女と化す。

この物語の底辺には東北という地が担わされてきた悲しみ、中央と周縁のテーマが流れています。

はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトではこの物語をテーマに、トークイベントや映像作品の制作を行ってきました。
2014年「KUROZUKA 黒と朱」、2015年「KUROZUKA 黒と光」に引き続き、
今年は舞踏家の舘形比呂一主演で「KUROZUKA 闇の光」が制作されました。

公演の場所は伝説の地、二本松市の安達ヶ原。
日が沈み、開演前の緊張感が漂います。
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乳母のシルエットで物語は始まります。
(ただ、暗闇の中、フラッシュ撮影厳禁だったため、写真の精度に限界があることをご了承ください・・・。)
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老女、若い女、鬼女を、舞踏家はしなやかに劇的に舞います。
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一筋の光にさしのべられた手。
救いが暗示されて舞台は終わりました。

深い悲しみと怒り。東北の業。
舞踏家の身体はそれを体現し、見事に昇華していました。

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2016年8月31日(水)
夢の学び舎―なみえ学校プロジェクト―

現在、二本松市に避難中の浪江小学校。
その5年間の歴史を伝える取り組みとして、校舎の一画に博物館が設けられています。
名前は「ふるさとまるごと なみえ博物館」

その看板作りが行われました。
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夏休みの宿題として、みんなに考えてもらった看板の原案をもとに、看板作りがスタート。
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難しい漢字は5・6年生に、ひらがなは1~4年生に担当してもらいました。
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まずは下書きをして、それからクレヨンや色画用紙、色とりどりの布で文字を作っていきます。
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それぞれに創意が凝らされています。
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こちらは「ふるさと」チーム。
「ふ」と「さ」の地は一見黒く見えますが、驚くべき技法がほどこされています。虹色にぬった下地を黒で塗りつぶし、それをひっかくことで虹色が透けて見え、とてもきれい。
「る」と「と」は細かく切った布を貼り付けています。何枚も重ねられていて、とても厚みがあります。
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「なみえ」チームは、文字を書いた円の周りに、ちぎった和紙をあしらってお花のようにしました。
配色がしっかり考えられています。
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「博物館」チームは、難しい漢字をカラフルに仕上げてくれました。

それぞれの文字を土台に配置して、浪江らしいモチーフを加えていきます。
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そして完成!
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波しぶきを受けて、お魚が飛び跳ね、カモメが気持ちよさそうの飛んでいます。

震災から5年、低学年の子たちは、もしかしたら浪江の記憶はおぼろかもしれません。
それだけの時間、ふるさとが失われていたという事実を「ふるさとまるごと なみえ博物館」は伝えます。
今回作ってもらった看板は、博物館の展示の一つとして受け継がれていくことと思います。

2016年8月19日(金)
暮らしの記憶プロジェクト
美術作家・安田佐智種さんによるリサーチが進行中です。
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浪江町請戸で区長をつとめられていた鈴木さんを訪ねました。
鈴木さんは請戸で鈴木酒造店を営まれていましたが、現在は山形県長井市に移り住み、そこで新たに酒造りを始めています。
請戸での暮らしから、新しいスタートを切るまでに至ったお話を聞かせていただきました。

安田さんのリサーチは、かつて住んでおられた家の間取りを描いてもらうことから始まります。
そうだな・・・とおっしゃいながら、鈴木さんは懐かしむように愛おしむように間取りを描いてくださいました。
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震災前、直後、しばらく経た後のご自宅の写真を見せていただきました。
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写真を見ながら、鈴木さんは請戸での暮らし、海への思いを語ってくださいます。
正月の元日・二日は、初日の出と船の出初め式のため、酒店が一年で最も忙しい日であること。
子どもの頃は、毎日朝から晩まで海で遊んでいたこと。
海の事故が起きないように、海水浴場の運営と見回りをつとめておられたこと。

季節によって移っていく、海からの日の出。

鈴木さんのお母様は
「戦争の時でさえ、建物は残ったのに・・・」とおっしゃられたそうです。
何もかもを押し流した津波。
失われた暮らし。
その痕跡、記憶。
安田さんのリサーチと作品は、それらをすくい取り、アーカイブ化する作業です。

鈴木さんご一家は身一つで山形に移り住まれ、様々なご縁と協力を得て酒蔵を再開されました。
最初は山形の雪深さに驚かれたそうですが、今では雪室で保管するなど、新しい酒造りに挑戦されています。
酒造りは休みがない厳しい仕事だと、嬉しそうに語る鈴木さん。
夢は自前の雪室をもつこと、とおっしゃいます。

震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって多くを失いながらも、新たに紡がれていく暮らし。
磐城寿はその象徴のような酒です。
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2016年8月15日(月)
福島祝いの膳プロジェクト
フードアーティスト中山晴奈さんの今年度第3回目のリサーチの様子をご紹介します。
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あいにくの曇り空ですが、
まずは福島市にある梨園、株式会社あべきさんを訪ねました。
代表の阿部泰博さんから梨栽培の歴史をうかがいます。
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福島市萱場はもともと養蚕が盛んな地域でしたが、明治はじめ頃の桑の不作を受けて梨栽培に転換し、本格化したのは大正の頃だそうです。梨の産地から苗木を取り寄せたり、園芸の先生を招いて指導を受けたりと、様々な取り組みを経て、今では「萱場梨」と呼ばれるブランド梨に成長しました。辺り一帯は梨農園です。

そこから更に、革新的だったあべきさんでは、お祖父さんの代から洋梨栽培を始められたとのこと。
自生種に洋梨の品種を接ぎ木し、現在は9種類の洋梨を栽培しているそうです。
マルグリット・マリア、ドワイエンヌ・デュ・コミス、ブルックリン、ブール・ボスク、ル・レクチェ、シルバーベル、ラ・フランス、グランド・チャンピオン、ゴーラム
何やら聞いているだけで、高貴な香りが漂ってくるお名前。
19世紀のフランスで貴族たちが競うように品種改良をし、今に至るそうです。

あべきさんの販売スタイルは顧客から直接注文を受ける直販。
主に首都圏の方が贈答用に購入されるそうです。
そのため、震災後の風評被害の影響を受け、一時は70%も注文が減少したといいます。

梨そのものの出荷のほか、様々な加工品の開発もされています。
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コンポート、ワイン、缶詰にジャム。
洋梨のジュースやビールも作っているそうです。
缶詰や瓶詰めの洋梨は1~2年ねかせると、熟成して何ともまろやかな味になるのだとか。
特別な時には、お菓子屋さんに頼んでタルト・タタンやソルベを作ってもらうこともあるそうです。

その後、洋梨畑を案内していただきました。
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洋梨畑には、どこかおしゃれな雰囲気が漂っていました。

次は桃農園のかんたファームを訪ねました。
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こちらも9種類の桃を栽培されているとのこと。
はつひめ、まなつ、あかつき、紅国見、まどか、紅錦香、川中島、阿部白桃、ゆうぞら
こちらも名前がきれいです。

桃栽培の流れをうかがいました。
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まずは苗木選び。苗木のカタログを見せていただきました。
同じ川中島でも、その中にさらに多数の品種があるとのこと。傾向や好みで苗木を選びますが、植えてから5年は待たないと売れる品質の桃は収穫できません。
「桃栗3年柿8年」といいますが、根をはって、木が十分なエネルギーをためるまでには、長い時間が必要なのだそうです。
その後は、
冬に剪定。よい枝を選んで残します。
3月には摘蕾。枝の下側についている蕾だけ残して、あとは摘んでしまいます。枝の上は実が日焼けをしてしまうので、はじめからとっておくそうです。
5月に花が咲くと受粉。こちらでは人工ではなく、虫たちによる自然受粉を行っています。
実がなると、今度は摘果。甘みたっぷりの桃を作るためには、数をしぼらなければなりません。
夏には収穫。品種によって収穫時期が異なり、7月~9月は忙しい日が続きます。涼しいうちに採らないと、あっという間に熟れてしまうらしく、収穫は朝4時~5時に行うとのこと。
まさに今がその時期。どれも美味しそうに実っているように見えますが、虫害や、日焼け、ちょっとした傷も許されません。完全無欠な桃でないと出荷されず、あとはジュースの工場などに送られるそうです。
摘蕾に始まり収穫まで、何とも過酷な桃の選抜コース!
そんなデリケートな桃の大敵は天候。1日収穫が遅れただけで、雨風により傷んでしまいます。この日も天気は下り坂。今たわわに実っている桃の明日が心配です。
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かんたファームさんの面白いところは、最盛期には職場体験として小学生に出荷のお手伝いをしてもらっていること。
箱作りや箱詰め、最後の押印をお願いしているそうです。
中には毎年来ているベテランの小学生もいて、大人を指導できるほどだとか。心強い!

収穫できるまで手間ひまがかかる割に、とても傷みやすく、収穫できる時期は短い。一番難しい果樹ではないかと菅田さんは言います。
それでも桃農園をされているのは、収穫時期以外は暇だからと冗談めかしておっしゃっていましたが、きっと何とも言えない魅力があるのではないでしょうか。
そう思わせるほど、今が盛りの桃畑は妙に色っぽく、吉祥感にあふれていました。

今回、果樹農家さんにうかがって、これまでのリサーチとの違いを強く感じたのは、やはり果物はファッショナブルな食べものであるということ。
主食や栄養源としての食べものではないからこそ、そこには「価値」が必要になります。
その「価値」をいかにプロデュースしていくかが問題になるわけで、今回うかがった2件は農家であるとともに、ブランド戦略に長けた企業家のような印象を受けました。

食べものをとおして見る、はま・なか・あいづは本当に面白い。
そう思った第3回リサーチでした。