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2016年8月31日(水)
夢の学び舎―なみえ学校プロジェクト―

現在、二本松市に避難中の浪江小学校。
その5年間の歴史を伝える取り組みとして、校舎の一画に博物館が設けられています。
名前は「ふるさとまるごと なみえ博物館」

その看板作りが行われました。
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夏休みの宿題として、みんなに考えてもらった看板の原案をもとに、看板作りがスタート。
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難しい漢字は5・6年生に、ひらがなは1~4年生に担当してもらいました。
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まずは下書きをして、それからクレヨンや色画用紙、色とりどりの布で文字を作っていきます。
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それぞれに創意が凝らされています。
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こちらは「ふるさと」チーム。
「ふ」と「さ」の地は一見黒く見えますが、驚くべき技法がほどこされています。虹色にぬった下地を黒で塗りつぶし、それをひっかくことで虹色が透けて見え、とてもきれい。
「る」と「と」は細かく切った布を貼り付けています。何枚も重ねられていて、とても厚みがあります。
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「なみえ」チームは、文字を書いた円の周りに、ちぎった和紙をあしらってお花のようにしました。
配色がしっかり考えられています。
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「博物館」チームは、難しい漢字をカラフルに仕上げてくれました。

それぞれの文字を土台に配置して、浪江らしいモチーフを加えていきます。
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そして完成!
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波しぶきを受けて、お魚が飛び跳ね、カモメが気持ちよさそうの飛んでいます。

震災から5年、低学年の子たちは、もしかしたら浪江の記憶はおぼろかもしれません。
それだけの時間、ふるさとが失われていたという事実を「ふるさとまるごと なみえ博物館」は伝えます。
今回作ってもらった看板は、博物館の展示の一つとして受け継がれていくことと思います。

2016年8月19日(金)
暮らしの記憶プロジェクト
美術作家・安田佐智種さんによるリサーチが進行中です。
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浪江町請戸で区長をつとめられていた鈴木さんを訪ねました。
鈴木さんは請戸で鈴木酒造店を営まれていましたが、現在は山形県長井市に移り住み、そこで新たに酒造りを始めています。
請戸での暮らしから、新しいスタートを切るまでに至ったお話を聞かせていただきました。

安田さんのリサーチは、かつて住んでおられた家の間取りを描いてもらうことから始まります。
そうだな・・・とおっしゃいながら、鈴木さんは懐かしむように愛おしむように間取りを描いてくださいました。
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震災前、直後、しばらく経た後のご自宅の写真を見せていただきました。
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写真を見ながら、鈴木さんは請戸での暮らし、海への思いを語ってくださいます。
正月の元日・二日は、初日の出と船の出初め式のため、酒店が一年で最も忙しい日であること。
子どもの頃は、毎日朝から晩まで海で遊んでいたこと。
海の事故が起きないように、海水浴場の運営と見回りをつとめておられたこと。

季節によって移っていく、海からの日の出。

鈴木さんのお母様は
「戦争の時でさえ、建物は残ったのに・・・」とおっしゃられたそうです。
何もかもを押し流した津波。
失われた暮らし。
その痕跡、記憶。
安田さんのリサーチと作品は、それらをすくい取り、アーカイブ化する作業です。

鈴木さんご一家は身一つで山形に移り住まれ、様々なご縁と協力を得て酒蔵を再開されました。
最初は山形の雪深さに驚かれたそうですが、今では雪室で保管するなど、新しい酒造りに挑戦されています。
酒造りは休みがない厳しい仕事だと、嬉しそうに語る鈴木さん。
夢は自前の雪室をもつこと、とおっしゃいます。

震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって多くを失いながらも、新たに紡がれていく暮らし。
磐城寿はその象徴のような酒です。
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2016年8月15日(月)
福島祝いの膳プロジェクト
フードアーティスト中山晴奈さんの今年度第3回目のリサーチの様子をご紹介します。
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あいにくの曇り空ですが、
まずは福島市にある梨園、株式会社あべきさんを訪ねました。
代表の阿部泰博さんから梨栽培の歴史をうかがいます。
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福島市萱場はもともと養蚕が盛んな地域でしたが、明治はじめ頃の桑の不作を受けて梨栽培に転換し、本格化したのは大正の頃だそうです。梨の産地から苗木を取り寄せたり、園芸の先生を招いて指導を受けたりと、様々な取り組みを経て、今では「萱場梨」と呼ばれるブランド梨に成長しました。辺り一帯は梨農園です。

そこから更に、革新的だったあべきさんでは、お祖父さんの代から洋梨栽培を始められたとのこと。
自生種に洋梨の品種を接ぎ木し、現在は9種類の洋梨を栽培しているそうです。
マルグリット・マリア、ドワイエンヌ・デュ・コミス、ブルックリン、ブール・ボスク、ル・レクチェ、シルバーベル、ラ・フランス、グランド・チャンピオン、ゴーラム
何やら聞いているだけで、高貴な香りが漂ってくるお名前。
19世紀のフランスで貴族たちが競うように品種改良をし、今に至るそうです。

あべきさんの販売スタイルは顧客から直接注文を受ける直販。
主に首都圏の方が贈答用に購入されるそうです。
そのため、震災後の風評被害の影響を受け、一時は70%も注文が減少したといいます。

梨そのものの出荷のほか、様々な加工品の開発もされています。
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コンポート、ワイン、缶詰にジャム。
洋梨のジュースやビールも作っているそうです。
缶詰や瓶詰めの洋梨は1~2年ねかせると、熟成して何ともまろやかな味になるのだとか。
特別な時には、お菓子屋さんに頼んでタルト・タタンやソルベを作ってもらうこともあるそうです。

その後、洋梨畑を案内していただきました。
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洋梨畑には、どこかおしゃれな雰囲気が漂っていました。

次は桃農園のかんたファームを訪ねました。
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こちらも9種類の桃を栽培されているとのこと。
はつひめ、まなつ、あかつき、紅国見、まどか、紅錦香、川中島、阿部白桃、ゆうぞら
こちらも名前がきれいです。

桃栽培の流れをうかがいました。
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まずは苗木選び。苗木のカタログを見せていただきました。
同じ川中島でも、その中にさらに多数の品種があるとのこと。傾向や好みで苗木を選びますが、植えてから5年は待たないと売れる品質の桃は収穫できません。
「桃栗3年柿8年」といいますが、根をはって、木が十分なエネルギーをためるまでには、長い時間が必要なのだそうです。
その後は、
冬に剪定。よい枝を選んで残します。
3月には摘蕾。枝の下側についている蕾だけ残して、あとは摘んでしまいます。枝の上は実が日焼けをしてしまうので、はじめからとっておくそうです。
5月に花が咲くと受粉。こちらでは人工ではなく、虫たちによる自然受粉を行っています。
実がなると、今度は摘果。甘みたっぷりの桃を作るためには、数をしぼらなければなりません。
夏には収穫。品種によって収穫時期が異なり、7月~9月は忙しい日が続きます。涼しいうちに採らないと、あっという間に熟れてしまうらしく、収穫は朝4時~5時に行うとのこと。
まさに今がその時期。どれも美味しそうに実っているように見えますが、虫害や、日焼け、ちょっとした傷も許されません。完全無欠な桃でないと出荷されず、あとはジュースの工場などに送られるそうです。
摘蕾に始まり収穫まで、何とも過酷な桃の選抜コース!
そんなデリケートな桃の大敵は天候。1日収穫が遅れただけで、雨風により傷んでしまいます。この日も天気は下り坂。今たわわに実っている桃の明日が心配です。
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かんたファームさんの面白いところは、最盛期には職場体験として小学生に出荷のお手伝いをしてもらっていること。
箱作りや箱詰め、最後の押印をお願いしているそうです。
中には毎年来ているベテランの小学生もいて、大人を指導できるほどだとか。心強い!

収穫できるまで手間ひまがかかる割に、とても傷みやすく、収穫できる時期は短い。一番難しい果樹ではないかと菅田さんは言います。
それでも桃農園をされているのは、収穫時期以外は暇だからと冗談めかしておっしゃっていましたが、きっと何とも言えない魅力があるのではないでしょうか。
そう思わせるほど、今が盛りの桃畑は妙に色っぽく、吉祥感にあふれていました。

今回、果樹農家さんにうかがって、これまでのリサーチとの違いを強く感じたのは、やはり果物はファッショナブルな食べものであるということ。
主食や栄養源としての食べものではないからこそ、そこには「価値」が必要になります。
その「価値」をいかにプロデュースしていくかが問題になるわけで、今回うかがった2件は農家であるとともに、ブランド戦略に長けた企業家のような印象を受けました。

食べものをとおして見る、はま・なか・あいづは本当に面白い。
そう思った第3回リサーチでした。

2016年7月13日(水)、14日(木)
福島祝いの膳プロジェクト
フードアーティスト中山晴奈さんのリサーチが奥会津の昭和村、裏磐梯の北塩原で行われました。

1日目は昭和村で農家民宿「やすらぎの宿とまり木」を営む皆川キヌイさんを訪ねました。
キヌイさんはお米、各種野菜をご自分で作っていらっしゃいますが、中でも豆の種類の豊富さに驚きます。
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納豆豆、香り豆、丹波黒豆、みそ豆、きなこ豆、黒豆早生、青豆、だだ茶豆
名前を唱えているだけで、楽しくなってきます。
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さっそく豆料理のレクチャーを受けます。
まずはお豆腐作りに挑戦。
水につけた青豆をミキサーで細かくします。これを呉汁といいます。
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遊びに来た小春ちゃんも気になるご様子。
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呉汁を沸騰するまで煮ます。
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沸騰したら布巾でこして、おからと豆乳に分けます。これが熱い!
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緑色の、とてもきれいなおからができました。
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豆乳を鍋に戻し、にがりを加え、豆腐箱に移します。
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ですが、
あれ?・・・あれれ?
いっこうに固まる気配がありません。
最初は大丈夫よと言っていたキヌイさんも、何やら不安げな面持ち。
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最終的に、とても美味しい豆乳ができあがりました・・・笑
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何が原因だったのかは不明。再チャレンジを誓いました。

他には、豆を素揚げして自家製味噌を絡めたもの、おからの煮物を教えてもらいました。
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料理の合間に紹介してくれたのが、麦芽と餅米で作る水飴。
砂糖を手に入れるのが難しかった頃、砂糖の代用として作られました。
とにかく滋味豊か!病気の時、薬代わりにしたというのも納得です。
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さて、その日の夕食はキヌイさん手作りの料理の数々。
ほとんどがキヌイさんの畑でとれたものです。
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最後は香りたかいきのこご飯と、自家製味噌の味噌汁。
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どれもとても美味しいのですが、心づくしの料理に胃の大きさが追いつきません・・・。

翌朝は、キヌイさんの畑を案内していただきました。
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茄子、葱、南瓜、隠元、、、
手入れの行き届いた畑、やさしい雨にぬれる緑と土の香り。
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体の中からも外からも清らかになったような気分で、キヌイさんの宿を後にしました。
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そして、裏磐梯は北塩原へ。
北塩原地域興し協力隊の赤木さんの案内で、ジュンサイ摘みに挑戦しました。
ジュンサイは淡水の池などに生える水草で、茎や若芽にはゼラチン質のヌルと呼ばれるぬめりがあり、夏の高級食材として珍重されています。
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裏磐梯エコツーリズム協会会長の真野さんからは、北塩原の寒冷な気候・きれいで豊富な水が栽培に適していること、主に女性の夏の仕事として行われたこと、シーズンが短い故に安定的な収入に結びつかないためなかなか後継者が現れないことなどをお聞きしました。
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さて、いよいよ船出です。
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摘み始めると、思わず熱中しみな無言に。
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本日の収穫。そして夜には酢の物にして美味しくいただきました。
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そして最後は、会津山塩企業組合に向かい、代表の栗城さんから山塩の歴史、製法についてうかがいました。
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山塩はその名の通り、山でとれる塩です。
大塩裏磐梯温泉は、太古の海水が溶け出した塩分の高い源泉です。それを煮詰め乾燥させることによって山塩が作られます。長い年月によって海水の成分が変質し、海塩とは異なる風味と成分の山塩が誕生しました。
藩の製塩所として栄えた大塩地区ですが、昭和42年の大火によって一度、その技は途絶えていました。
そこで会津山塩企業組合が、地域の伝統と味を復活させるため結成されました。
煮詰める濃度によって温泉の成分が塩の味に影響し、安定した品質になるには試行錯誤の繰り返しだったそうです。
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できた塩も粗さによって、舌に感じるまろやかさが全く異なります。
これからも商品開発に向けた試行錯誤は続きます。

今回のリサーチで改めて感じたのは、
地域の伝統食、食文化を伝えるのは人なのだということ。
何より好きだから、喜んでもらえるのが嬉しいからとおっしゃって、農家民宿を営むキヌイさん。
昔ながらのものと、キヌイさんの新しい感覚とのバランスが絶妙でした。
後継者不足に悩みながらも、新しい形でつなげていこうとしているジュンサイ摘み体験。
一度は途絶えても人々の熱意によって復活し、裏磐梯の特産として売り出し中の山塩。
伝統はただそこにあるのではなく、それを伝える人の思いや工夫が加わることで、生きてつながっていきます。

さて、次回はうってかわって、
中通りの果樹農家さんの新しい取り組みをリサーチします。
お楽しみに!

2016年7月8日(金)、9日(土)

福島祝いの膳プロジェクト
2日にわたって開催されたいわきフォーラムの後半、
小名浜UDOK.でのクロストーク「潮目の血」の模様です。
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トーク1「うみラボから分かること」(小松理虔)
トーク2「三陸~いわき 海と食の復権」(中山晴奈)
トーク3「写真集『魚人』『おわり。』の世界~漁と猟~」(田附勝)
と題して、お三方からそれぞれの活動と、活動を通して見えてきたことについてお話しいただきました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故による海や魚への影響を調査する、いわき海洋調べ隊「うみラボ」の研究員として活動している小松さん。
いわきの海は暖流と寒流がぶつかる豊かな海であること、海底の地形、どんな魚がどこにいるのか、どんな漁師がどんな漁をしているのか、原発事故によって改めて地元の海を知ることになったといいます。また、そうして自分で調べ体験することによって、放射線量のデータが持つ重み・深さが全然違ってくるということ。
浜通りは東北・関東双方の周縁にあって、日本の近代エネルギー産業を支えてきました。その歴史を踏まえたうえでどちらにも依らずに、いわきの豊かさを見直して新しい価値観を生み出していくべき、という提言がなされました。

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食をコミュニケーションツールとして捉えているというフードアーティストの中山さんからは、全国各地の漁業、水産ビジネス、海とのつきあい方の様々な有り様を紹介していただきました。
今は、食べる人ととる人・作る人との距離が遠くなり、何が美味しいということなのか、何が安全なのか、わからなくなっていると中山さんは指摘します。たとえ安全を諦めたとしても、消費者は誰がどのように作っているのかを知ることで、生産者は自分たちが作ったものがどのように食べられているのかを知ることで世界が変わり、相互に安心を得ることができる。中山さんが携わっている『東北食べる通信』では、SNSを介して消費者と生産者が直接つながることで、新しい流通の場づくりを行っているとのことでした。

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写真家の田附さんは、東日本大震災以前から岩手県釜石の鹿撃ち猟、突きん棒漁を行う猟師・漁師の姿を撮り続けています。田附さんにとっての東北は、生の爆発や死を日常の生活の中にもっていると感じるエリアであり、海や山とともに生き命をいただく、その当たり前の生活を、当たり前の生活の中で感じて田附さんは撮影します。最大のテーマは台所にたどりつくこと(笑)。台所は生と死と生活が、何百年も何千年も繰り返されてきた場所です。
だからこそ、原発事故を契機に鹿撃ちをやめた猟師の姿を追った写真集『おわり。』は、圧倒的な密度と重さを持っています。

最後のクロストーク「潮目の血」では、お三方に会場を交え語り合っていただきました。
クロストーク

「祝い」について。
日常の食事、日々の暮らしがとても尊いということ、
季節の繰り返しの中で収穫する喜び、
空気のように生活に溶け込んでいる、先祖や見えない存在を思い祈るということ、
それをアートの視座から捉え直す、それが「祝いの膳プロジェクト」なのだというお話がありました。

「日常」
日常の中で意識されていないことが、外の人間の問いかけによって意識され輝きを増す瞬間、それがありがたいのだと中山さんは言います。
撮影先のお宅で昼寝をさせてもらうという田附さん。「寝てていいよ」と言われた時、許されたように感じるのだとか。昼寝しながら感じる台所の匂いや見えない気配に生活をかぎとり、撮影するそうです。
とれなかった時はなんとかし、とれた時は飽き飽きしながら食べ方や加工を工夫する、それを引き受けて食いつないでいく。そこからでないと感謝の気持ちは生まれてこないのではないか、というお話も小松さんからありました。

人と自然とのつながり、人と人とのつながり
そこに人は尊厳や信頼を見いだし、安心、幸福を感じていたはず。
原発事故はそれらを奪い、傷つけました。
ですが、それを取り戻すこともまた、人を思うこと、人とつながりをもつことから始まるのかもしれません。
食べることを通して誰かを思い起こし、情景を思い浮かべることという「祝いの膳」は、そのつながりの一つです。

いわきフォーラム2日目は
中山さんの「他者を思うこと」という言葉で終わりました。
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2016年7月8日(金)、9日(土)

福島祝いの膳プロジェクト
フードアーティスト中山晴奈さんによる、いわきの伝統食・水産業のリサーチ結果をもとに、いわきの食文化の多様性・海の恵みについて知り、福島の食の現状と復興を語り合うフォーラムが2日間にわたって開催されました。

7月8日(金) 車座トーク「いわき食べものがたり」 @四家酒造
7月9日(土) クロストーク「潮目の血」 @UDOK.

1日目の様子をご報告します。
講師は中山さん、
江戸時代から代々いわきに住みいわきの食文化に詳しい有賀行秀さん、
四家酒造代表の四家久央さん、
いわきの食産業に詳しいいわき産学官ネットワーク協会の阿部峻久さん、
いわき海洋調べ隊「海ラボ」事務局の小松理虔さん、
八戸・釜石に滞在し海と山の漁師・猟師の姿を撮影している田附勝さん

まずはクロストーク1「いわきの食、いまむかし」と題して中山さん、有賀さん、四家さん、阿部さんにお話いただきました。
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人の思いが強くある食材や料理は「文化の結晶」だとおっしゃる中山さん。
阿部さん、小松さんの案内でまわった、いわきのリサーチについて紹介してもらいました。
そこから見えてきたのは、福島の食の多様性、
会津の山の文化とは全く異なるいわきの食文化・人の気性・ある種の捉えどころのなさだといいます。
そのリサーチの課程で出会ったのが、
有賀を名乗って400年、いわきに住んで250年という有賀さん、古くから酒屋を営む四家酒造の四家さん。
お二人のお家に伝わる伝統食についてご紹介いただきました。
とは言っても、家のルーツ、生業、地域によって様々な違いがあり、
「これがいわきの伝統食だ」と言うことが難しい複雑さがあることがわかってきました。

有賀さんちのお煮がしと四家さんちのお煮しめは違うのか?
呼び方、味付け、食べるシーン・・・共通点もありつつ、各家でかなりのバリエーションがあるということ。

いわきは魚?
山側の地域では実はあまり食べないということ、保存方法や代用品が様々に考案されてきたこと、などなど。

いわきの食文化の捉えどころのなさ、それはつまり「多様性、豊かさ」でもあると感じられたクロストーク1でした。

有賀家のお煮がし

有賀家のお煮がし

クロストーク2「いわきの魚食、東北の魚食」
ここでは、中山さん、小松さん、田附さんの3人で、より海に接近したお話をしていただきました。
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いわきで捕れる魚の豊富さ、田附さんがフィールドにしている釜石・八戸の漁、それぞれの特性、その共通点と相違点を話しているうちに、命をいただくという感覚、船と海でつながる環太平洋文化へと議論は広がっていきます。

「船文化やばいよ(笑)」(田附)

そして原発事故の影響について。
数値で食べ物の安全性が測定されている現在、
田附さん、中山さんの言葉で印象的だったのは、
「食べるとは、あの人が捕っている、あの風景の中で捕っているという情景を食べることでもある。だからこそ美味しいと思う」
「信頼している人が、その人の判断で捕った魚なら信頼して食べる」
というもの。
何が安全で何が危険なのか、大量のデータの中で窒息しかかっているなか、
本来、食べるとはどういうことか、信頼できるとはどういうことか、食の本質への問いかけがなされたように思います。

車座トーク「いわき食べものがたり」
最後には全員参加で語り合っていただきました。
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東北でもなく関東でもないといういわきの不思議な立ち位置、山もあり海もあり、開けているが故に様々なルーツの人が流れ込み多様な文化を形成しているという環境。

「いわきの中にもはま・なか・あいづがある。いわきは福島の縮図」(小松)

いわきの捉えどころのなさを掘り下げていくと、そういったことが見えてきます。

最後に大きなテーマとなったのが
食は、現在の人や自然をつなぐだけではなく、過去の先祖や目には見えない世界と今をつなぐ力があるということでした。
「いますがごとく(そこにいるかのように)」食事をお供えすることによって、会ったこともない先祖がいて今の自分がいることに思いを致し、形としては見えない自分の外側にある世界に畏敬の念を抱く。
それは他者への想像力であり、それが今生きていくために大切なことなのではないか、ということが語られました。

締めくくりの中山さんの言葉
「食べものを扱うのは重くてしんどい。でも、食べものは様々なものをつなぐ多様性に満ちあふれている。福島は本当に複雑な所で、それを一つにまとめることは難しいけれど、模索しつづけていきたい」

とっぷりと暮れたところで、1日目の車座トークはお開きとなりました。
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2016年7月16日(土)

夢の学び舎―いわき学校プロジェクト―
今年度の好間土曜学校は、
アーティストの中津川浩章さんを講師に迎え、3週連続で行いました。
第1回、第2回と体中を動かして描いてきたこどもたち。
いよいよ最終回を迎えます。
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前回、絵の具だらけになって描いてくれた画面を並べて、こどもたちを待ちます。
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絵の具がすっかり乾いて、前回とはまた違った面白さが見えてきます。
これを素材にして、今回はいったいどんなことが起きるでしょうか。
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なかっつが、こどもたちに

いのちって何だろう?

と問いかけていきます。
ことばにすることが難しかったのか、なかなか話してはくれません。
そんな中、一人の子は「いのちはこころ」と答えてくれました。
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ことばの後は、体感とイメージの世界へ。
前回の画面を、思いっきりびりびりに破っていきます。
これを待っていたと言わんばかりの、爆発ぶり。
あっという間に大小の破片になりました。
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今度はその破片を、それぞれが思い描くいのちの形に、
あるいは破片の形からいのちを思い浮かべて、貼り付けていきます。
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最初は大きく貼られた中から、だんだん色々な形が見えてきます。
そんな中、まず作られたのは福島県。真ん中は猪苗代湖です。
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太陽、猫、大王イカ、深海魚、未確認生物、校長先生・・・
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そして、より細部に独創的な形が現れはじめます。
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こちらは番外編
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画面はどんどん埋め尽くされていきます。
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完成した「いのちの物語」を見ながら、
こどもたちに感想を言ってもらいました。
前回絵の具を塗りこめた画面が、新しい形に生まれ変わったことに
こどもたち自身も驚いていたようでした。
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最後にみんなで記念撮影
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これまで「自然のすばらしさ」をテーマにしてきた好間土曜学校。
今年度はど直球に「いのち」をとりあげました。
それは、なかなかことばで伝えることは難しいことかもしれません。

なかっつと話しながら、
体中を動かしながら、
ぬるぬる、ざらざら、つるつる、
いろんな感触を感じながら、
こどもたちは「いのち」を感じとって、形にしてくれたのではないでしょうか。

今回、好間第一小のみんなに作ってもらった作品は、
これから各地で開催予定の、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト成果展で展示します。
ぜひ、多くの方に、こどもたちの「いのちの物語」を見ていただきたいと思います。

なかっつこと講師の中津川さん、
いつも惜しみなく協力してくださった松本校長先生、
サポートしてくださったNPOワンダーグラウンドのみなさん、
そして毎回、全力で楽しんでくれた好間第一小のみんな、
ありがとうございました!

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2016年7月9日(土)

夢の学び舎―いわき学校プロジェクト―
いわき市立好間第一小学校のみなさんと行っている
「好間土曜学校~アートな自然~」の第2回目の様子をお届けします。
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好間土曜学校の看板が新しくなりました。
担当アーティスト・中津川さんのドローイングが描かれた看板は、透明な青色が印象的です。

今回は、3m×3mの大きな画面に、絵の具で線や点を描くワークショップ。
まだ何も描かれていない真っ白な画用紙には、何かぴんとした緊張感があります。
これから何が起こるのか待っているようです。
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色とりどりの絵の具もスタンバイ。
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どの色にしようか。
カラフルに並んでいると、それだけでちょっと楽しくなります。
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うすい絵の具を使って、いよいよ描き始めます。
最初は1人で、次は3人で。
周りのこどもたちは、描き手のお友達の手元をじっと見つめます。
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全員で描き始めます。
さあ、ここからが好間っ子の本領発揮。どんどん勢いがついていきます。
ゆっくり、ぎざぎざ、水玉もよう・・・。
色の雨を降らせよう・・・。
なかっつの言葉に合わせて、色々な線が引かれていきます。
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友達と絵の具を交換して、新しい色を調合する子や、
手や足を使って描き始める子。
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次は濃い絵の具に持ちかえて、好きな動物や乗り物を描いていきます。
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絵の具をぶちまけた上を滑ってみては、尻餅をついて体中絵の具だらけ。
ぬるぬるする絵の具の感触が、段々気持ちよくなってくるようです。
そうして塗り込められた上に、星をまく子もいました。
それぞれのやり方で楽しむこと。
それはとても大切なことのように思えます。
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最終的にはここまでになりました。
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最後に感想を言ってもらいました。
混ぜたら新らしい色ができて面白かった、絵の具をこんなふうに使ったのは初めてだった、などなど。
泥遊びや、道路への落書きなどをあまり見かけなくなった今、
こどもたちにとって、絵の具にまみれて体中で描くことは新鮮な体験だったようです。
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次回は最終回となります。
今回描いてもらった画面をもとに、新たな「いのちの物語」が生み出されます。
お楽しみに!

2016年7月2日(土)
夢の学び舎―いわき学校プロジェクト―
「好間土曜学校~アートな自然~」の第1回がいわき市立好間第一小学校で開催されました。
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好間土曜学校は今年で3年目となるプロジェクトです。
東京電力福島第一原子力発電所の事故から避難した方が多く移り住んでいるいわき市で、避難してきた児童と受け入れ地域の児童が、自然と仲良くなる場をつくりたいという学校の課題に応えて始まりました。
テーマは「自然の素晴らしさ」「いのち」です。

今年度は美術家の中津川浩章さん(なかっつ)を講師にお招きし、
3週連続で「音に合わせて線を描き、大きな絵に描いて貼っていのちの物語を作ってみよう」というワークショップを行います。

講師の中津川さん

講師のなかっつ

第1回目となる今回は、10メートルものロール画用紙に、6Bから10Bの柔らかい鉛筆で線を描いていきます。

準備完了

準備完了

鉛筆もいろいろ

鉛筆もいろいろ

10時の開始を前に、こどもたちが集まってきます。
靴も脱いで、靴下も脱いで、何が始まるのか興味津々の様子です。
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さあ、いよいよ始まりました!
なかっつの「でんでん虫みたいにゆーっくり」「うねうね」「ぐるぐる」「お友達の線とつないでみよう」という言葉にあわせて線を描いていきます。
最初はおずおずと線を引いていたこどもたちも、何だか段々楽しくなってきたのか、画用紙の上に乗り出し始めます。
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両腕をぐるんぐるん動かして大きな円を描く子。
手元でちょっとずつ線を引く子。
勢いのある線、几帳面な線。
みるみるうちに画用紙がいろんな線で埋められていきます。
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掌でこすりつける子も登場しました。
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お兄さんやお姉さんについてきた小さな子たちも、いつの間にか参加しています。
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気づけば手も足もまっくろ!
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次はなかっつのたたくトライアングルや木琴の音に合わせて線を描きます。
タンタン!タンタタン!
リズムに合わせて、鉛筆を打ち付ける音が響きます。
なかっつのリズム、こどもたちのリズムが一体となる不思議な感覚。
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お次は二人一組で、10メートルの画用紙の上にながーく線を引いていきます。
駆けぬける子、後ろ向きに進む子、すり足の子。両手づかい。
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こどもたちは、あっというまに減っていく鉛筆に驚いたようです。
線を描くかたわら、隣ではいつのまにか鉛筆削りワークショップが発生していました。
カッターで鉛筆を削ること自体初めてのこどもたち。
力の入れ方、角度の付け方、少しずつコツをつかんでいきます。
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最後にみんなで記念撮影。
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手前で転がっている兄弟は最後にポーズをとってくれました。
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体を動かすこと、線を引くこと、リズムを感じること、それ自体をこどもたちは思いっきり楽しんでいました。
その中から自然と模様らしきものが浮かび上がってきたり、それをつないでみたり。
すり足や後ろ向きなど、次々と新しい遊びを発明しては、みんなに広がっていきます。
こどもたちのエネルギーと想像力がぶつかって、会場は弾けんばかりでした。

次回は7月9日(土)に行われます。
今度はどんな表情を見せてくれるでしょう。
どんな意表を突いた発明をしてくれるでしょう。
こどもたちが作り出す「いのちの物語」が楽しみです。

2016年6月3日(金)、5日(日)
飯舘村の記憶と記録プロジェクト

写真家の岩根愛さんによるプロジェクトが動き出しました。
飯舘村の方に飯舘の暮らしのお話をお聞きし、
その方の大切な場所で360度パノラマ写真を撮影。
言葉と写真で、過去と現在の飯舘村を記憶し伝えていきます。

6月3日(金)
飯舘村の消防団長を長く務められた荒利喜さんにお話をお聞きし、撮影を行いました。
飯舘村飯樋地区のみなさんに様々な品を供給してきた荒商店の店主にして、消防団長だった荒さん。
撮影は、築90年というご自宅の前。
お向かいの荒商店ももちろん映ります。

ご自宅前にて

ご自宅前にて

荒さんは消防団長の制服を着て撮影に臨まれました。
荒家の長男としての荒さん。
荒商店の店主として地域に尽くしてきた荒さん。
消防団長として震災前後、休む間もなく飯舘村のために働いてきた荒さん。
3人の荒さんは、きっと岩根さんの写真のなかで融合して現れることでしょう。

撮影前後にお聞きしたお話は、今と昔を行き来しながら豊かに広がりました。

荒さんからお話を伺う岩根さん

荒さんからお話を伺う岩根さん


築90年の荒さんの思い出が詰まったご自宅は、震災と避難中の豪雪の影響のため、今年壊すことに決められたそうです。
愛おしげにご自宅を眺める荒さんの表情。きっと忘れないと思います。

6月5日(日)
引き続き、岩根さんによる撮影が飯舘村で行われました。
今回の撮影地は飯舘村内で警戒区域となっている長泥地区。
Sさんのご協力を得て除染の仮置場を撮影。

除染・・・

除染・・・


その後、Sさんご夫婦から飯舘村でのかつての暮らし、震災後の暮らしについてお話を伺いました。
農業のご苦労、畜産の工夫、震災後のストレスなど2時間以上お話をお聞きすることができました。
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飯舘村での暮らしを語るSさんご夫妻

飯舘村での暮らしを語るSさんご夫妻

まだまだ先が見えないことのご心労がこちらにも伝わってきました。
空になった牛小屋の暗がりと初夏の緑が心に残る6がつの飯舘村です。