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写真美術館プロジェクトの成果展を新潟県新発田市で開催しました。

福島写真美術館プロジェクト成果展+PLUS 新発田
会期:2016年10月19日(水)~11月4日(金)
会場:金升酒造 二號蔵ギャラリー

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写真の町シバタ・プロジェクトとの幸福な出会いにより、開催のはこびとなりました。
+PLUSには、写真美術館プロジェクト以外の写真作品も、という意味のほか、
新発田との出会いという意味も込められています。

会場は金升酒造の二號蔵。現在も実際にお酒が仕込まれている生きた蔵です。

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中にはお酒の発酵するよい香りが満ち、ほろ酔い気分での展示作業。

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1階には片桐功敦さん「Sacrifice」
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安田佐智種さん「未知〈みち〉の道」
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2階は
土田ヒロミさん「願う者は叶えられるか」
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高杉記子さん「Fukushima Samurai」
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本郷毅史さん「水源域・福島」
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赤阪友昭さん「山で生きる」
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岩根愛さん「Island in my mind」
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村越としやさん「福島2015」、赤間政昭「飯舘村飯樋町の田植え踊り」(映像作品)
すみません。写真を撮り忘れました・・・。

蔵自体が放つ存在感、縦と横に走る柱のリズム
それらとあいまって、とても雰囲気のよい展示になりました。

トークイベントも充実の3本立て。
10月18日(火)
オープニングイベントトークセッション「写真家の見た福島」
福島写真美術館プロジェクト参加作家の片桐功敦さん、本郷毅史さんを講師にお招きし、
お二人が福島にどう向き合い、作品を制作されてきたのか、お話いただきました。
怒りをモチベーションとして制作していたという片桐さん、
水源域にいる時は喜びしか感じないという本郷さん、
対称的なお二人の作品は、だからこそなのか、不思議と響き合います。
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10月26日(水)
トークイベント「写真の力と土地の記憶」
写真評論家の飯沢耕太郎さんと、福島写真美術館プロジェクト参加作家の村越としやさんがこの日の講師です。
飯沢さんからは震災以前の東北、震災以後の東北、一変してしまった風景、写真家はそれらに何を見て、何を伝えるのかというお話をいただきました。
村越さんはご自身の出身地である須賀川の風景や遺跡を撮影されています。村越さんのお話からは、変わらぬ風景、ここではないどこかでもあり得るかもしれない風景、しかし何かが変わってしまった風景、それを鋭敏に感じ取る写真家の目というものを感じました。

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11月2日(水)
トークイベント「写真と記憶 シバタ・フクシマ」
この展覧会を開催するきっかけともなったお二人、
写真家・著述家の港千尋さん、写真の町シバタ・プロジェクト実行委員の原亜由美さんが講師です。
原さんからは写真の町シバタの取り組みをご紹介いただきました。お家に残る古い写真とそれにまつわる物語を収集し、町の記憶を町中に展示する活動はとてもユニークです。
港さんは、過去と今をつなぐ写真の力、過去や思いを物質化・身体化する写真の力についてお話くださいました。
この日は、参加作家の高杉記子さん、岩根愛さんも会場におられ、作家本人からお話をうかがう貴重な機会ともなりました。
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会場にお集まりいただいたみなさんは、とても真剣に深く福島のことを受け止め、共に考えてくださいました。
新発田のみなさんとの出会いは、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトの誇りです。

トーク会場となった金升酒造蔵カフェもとても雰囲気がよく、みなさまと共に素敵な時間を過ごすことができました。

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そして、本展示の最後のイベントは、11月3日(木・祝)に行われたギャラリートーク。
午前の部には、今年5月に開催した「FUKUSHIMA SPEAKS アートで伝える考える 福島の今、未来 in NAGAOKA」でご一緒した、
長岡造形大学の小林花子先生と学生さんたちが来てくれました。
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午前のギャラリートークには昨日に引き続き、写真家の高杉記子さんと岩根愛さんも登場。
ご本人からの説明に、学生さんたちも真剣に聞き入っています。
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参加者からは、お二人がどのような意識で被写体の人物に向かわれているのか?という質問がありました。
撮影している方から逆に自分が見られているという恐ろしさ、本当に撮っていいのかという逡巡、
丁寧に取材を重ねられているお二人だからこその生の声。
ある覚悟をもって、当プロジェクトに参加してくださっていることに、改めて深く感謝いたします。

今回の新発田展は港さんと原さんの出会い、原さんと私たちとの出会い、写真の町シバタ・プロジェクトのみなさんとの出会い、
長岡のみなさんとの出会い・・・
そんな出会いの数々に支えられた展示でした。
ここには書き切れない、数々のつながりの結節点であり、またここから何かが始まりそうな予感をはらんだ新発田での展示。
充足感を胸に帰途に着きつつ、次の成果展の準備にとりかかります。

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2016年9月14日(水)、21日(水)、28日(水)
3回にわたって、夢の学び舎―いわき学校プロジェクト― 豊間ことばの学校が、いわき市立豊間小学校で行われました。
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講師は歌手・女優の玉井夕海さん。
みんなで海のうたをつくります!

豊間小学校は海にとても近い場所にあります。
東日本大震災では津波の被害を受け、
現在、学校の周辺はものすごいスピードで造成がすすめられ、海には防潮堤が造られています。
ここで、こどもたちに海のことを聞いていいのか、実は迷いがありました。
ですが、そんな心配をよそに、こどもたちは海が大好きで、自分たちの海のうたを歌ってくれました。

9月14日(水)
第1回目は、自分のなかにある海を描いてもらいました。
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最初は、お友達グループで似たような絵を描いていたこどもたちも、
夕海さんの歌を聴いているうちにリラックスしてきたのか、どんどん自分の海を描き出しました。
青い海、赤い海、お魚の海・・・、とても豊かな海。

夕海さんともすぐに仲良しになりました。
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9月21日(水)
前回、描いてもらった海の絵を見ながら、海について言葉にしていきます。
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絵を描く時はあんなに自由だったのに、言葉にするとなると急にわかりやすい言葉しか出てきません。
サーフィン、イルカ、くじら、たこ、いか・・・
夕海さんはそれぞれの言葉を掘り下げ、紐解いていきます。

みんな、海は好き?恐い?
好き!!
豊間の海で見たことある生き物にしようよ!
今は壁ができて、海に行けないよね?壁のことどう思う?
壁なんて気持ちの問題!
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どんな海のうたがいい?
歌って踊れる、のりのりのやつがいい!

ということで、
夕海さんは、次回までにロックでパンクな海のうたをつくってくることになりました。
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(この写真は、ロックな海のうたというお題が出される前のものですが、こんな感じで悩んでいます笑)

9月28日(水)
夕海さんが一週間考えてきたうたを、みんなで歌って演奏します。
まずは先週出してもらった言葉をもとに夕海さんが考えた歌詞をみんなで検討します。
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中には、「そんな歌詞いやだ!」という声も。
そこには自分の好きな歌詞を入れてもいいことにします。
こうして歌詞が完成しました。

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いよいよ演奏です。
夕海さんがこどもたちの希望にこたえ、造ってきてくれたのは、
ズッツチャッチャ ズッツチャッチャ
というリズムが楽しい、コール&レスポンスのジャンガラ調ロックンロール!
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大太鼓がリズムの要。小太鼓とティンパニーで華やかに。
椅子も立派なリズム楽器。
木琴と鉄琴は間奏時のメロディ担当です。

最初はばらばらだったリズムも、練習するうちにまとまってきました。
次はリズムにのせて、歌います。
もうほとんど大絶叫。ものすごいパワーです。
一番前の女の子は頭をふりながら歌っています。ロックンロール!

思いを言葉にする力、言葉を伝える力、言葉を受け取る力
そんな言葉の力を育てたいという学校の要望から、豊間ことばの学校は始まりました。
3年がたち、自分たちの海のうたができ、
こどもたちから「タイトルは-?」という声があがりました。
この歌をもっともよく表す言葉を見つけようと、みんなが自分で言い出してくれました。
時間がせまっていたので、いくつかの案から決定することはできず、それは夕海さんとみんなの宿題となりましたが、
豊間ことばの学校が、確かに意味のある活動だったと感じられた瞬間でした。

うたがうまいのはひばり(ひばり)
そこにあるのは灯台(灯台)
なぜかたくさんショベルカー
われら海の子 豊間の子 はい!

なみにのるのはサーフィン(サーフィン)
つりをするのはおじさん(ぼくも)
めかぶたくさん食べた(おいしい)
あそびつかれてくじらになって あそぶぜ!

ながれついたのうんち(うんち)
さけんだのはおかあさん(おかあさん)
きょうかしょでよんだスイミー(スイミー)
ちいさな魚ががんばるお話

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くじら みなみかぜ いか すいか はい!

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海はひろいな 大きいな はい!

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成果展、今年度第2弾を足利市で開催しました。

アートで伝える考える 福島の今、未来 in ASHIKAGA
会期:9月6日(火)~9月14日(水)
会場:足利商工会議所1階 ギャラリーカッサ、市民ギャラリー

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今回の成果展では、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトが実施しているプロジェクトのうち、「岡部昌生フロッタージュプロジェクト」「福島写真美術館プロジェクト―南相馬環境記録プロジェクト」で制作された作品を展示しました。

フロッタージュの技法で都市、地域、近代の記憶の記録に取り組むアーティスト・岡部昌生さん。2012年、津波被害と原発事故の大きな被害を受けた南相馬市からプロジェクトを展開。その後、飯舘村・大熊町など原発事故の被害を強く受けた地域にプロジェクトは展開しています。今回はその中から、出発点となった南相馬市での作品を展示しました。
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土間に刻まれた擦過痕
テトラポッドに付着するフジツボの死骸
耕地整理の碑
津波被害の大きかった沿岸部は、もともとは広大な湿地帯でした。そこを干拓して耕地となし、人々は暮らしてきました。津波によってその地はもう一度人の手から奪われ、海にもどりつつありましたが、現在ではまた排水が行われ、人の利用する土地として整備が進められています。
自然をつくり変え、利用してきた人間の歴史。それを無に帰す自然の力。岡部さんの作品は双方の痕跡を写し取ります。

花道みささぎ流家元の片桐功敦さんは、2013・2014年に本プロジェクトに参加。南相馬氏に長期滞在をし、亡くなった命に捧げる花を撮影しました。
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廃墟となってしまった建物、そこに取り残された長靴や車に、野で摘んだ花が、
南相馬の縄文土器に食すことの許されない稲穂が、津波によって再生した花が活けられています。
鎮魂、悲しみ、怒り。
それらを引き受けてなお、草花は静かにそこにあります。

9月10日(土)にトークイベント、11日(日)にギャラリートークを行いました。
トークイベントは「足尾の記憶・福島の未来」と題し、
川島健二さん(民俗学研究者・群馬県邑楽町文化材保護調査委員)、皆川俊平さん(WATARASE Art Project代表)、篠原誠司さん(足利市立美術館学芸員)にご登壇いただきました。
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川島さんは、足尾銅山鉱毒事件に際しての田中正造の発言や行動を丹念に追い、田中正造の思想がその土地に移り住んだことによって生成されてきたことをお話くださいました。
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皆川さんからは、WATARASE Art Projectの考え方や、取り組みについてお話いただきました。
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元鉱夫たちの住宅群を展示会場にする活動では、アーティストがそれぞれに地域と関わり作品を制作し、部屋という内密な空間・体験からかすかに足尾のことが見えてくるといいます。アーティストは境界をゆるがし、触れてはいけないことにさらっと触れる存在。
「地域のため」の活動ではないと言い切る皆川さんに潔さを感じました。

近現代のエネルギー開発と、それによる自然の破壊、村の破壊の歴史。そこに人々はいかに関わってきたのか。
足尾の歴史を繰り返してしまった福島。
語り合い、学ぶことは多く、この場を足利市・足尾の方と共有できたことは、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトにとってとても大切な出来事でした。

11日のギャラリートークにも、多くの方に来場していただきました。
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作品のもつ強さが、見る人それぞれの心に根をおろし、何らかのきっかけとなる。
そう願い、展示の解説はひかえめに作られています。
それは時にわかりにくさになってしまうかもしれません。
このようなギャラリートークによって、少しずつ互いの理解を深めていくことができたら幸いです。

今回の成果展では、
これまで、はな・なか・あいづ文化連携プロジェクトの活動を通してつながりをもった方々が
展示を手伝いに来てくださったり、教え子に紹介してくださったりしました。
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このような人と人とのつながりが、本プロジェクトの財産です。
今回の展示を見に来てくださったみなさま、ご協力いただいたみなさま、
本当にありがとうございました。

2016年9月9日(金)・10日(土)
黒塚発信プロジェクトの公演「KUROZUKA 闇の光」が、安達ヶ原ふるさと村で開催されました。

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安達ヶ原の鬼婆伝説。
都の姫に使える乳母が、姫の病を癒すという生き肝を求め、安達ヶ原に流れ着く。
乳母は旅の女を殺し、念願の生き肝を手に入れる。
しかし、その女の懐中に乳母が見たのは、都に残してきた娘に渡したお守りだった。
悲しみのため、乳母は鬼女と化す。

この物語の底辺には東北という地が担わされてきた悲しみ、中央と周縁のテーマが流れています。

はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトではこの物語をテーマに、トークイベントや映像作品の制作を行ってきました。
2014年「KUROZUKA 黒と朱」、2015年「KUROZUKA 黒と光」に引き続き、
今年は舞踏家の舘形比呂一主演で「KUROZUKA 闇の光」が制作されました。

公演の場所は伝説の地、二本松市の安達ヶ原。
日が沈み、開演前の緊張感が漂います。
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乳母のシルエットで物語は始まります。
(ただ、暗闇の中、フラッシュ撮影厳禁だったため、写真の精度に限界があることをご了承ください・・・。)
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老女、若い女、鬼女を、舞踏家はしなやかに劇的に舞います。
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一筋の光にさしのべられた手。
救いが暗示されて舞台は終わりました。

深い悲しみと怒り。東北の業。
舞踏家の身体はそれを体現し、見事に昇華していました。

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2016年8月31日(水)
夢の学び舎―なみえ学校プロジェクト―

現在、二本松市に避難中の浪江小学校。
その5年間の歴史を伝える取り組みとして、校舎の一画に博物館が設けられています。
名前は「ふるさとまるごと なみえ博物館」

その看板作りが行われました。
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夏休みの宿題として、みんなに考えてもらった看板の原案をもとに、看板作りがスタート。
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難しい漢字は5・6年生に、ひらがなは1~4年生に担当してもらいました。
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まずは下書きをして、それからクレヨンや色画用紙、色とりどりの布で文字を作っていきます。
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それぞれに創意が凝らされています。
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こちらは「ふるさと」チーム。
「ふ」と「さ」の地は一見黒く見えますが、驚くべき技法がほどこされています。虹色にぬった下地を黒で塗りつぶし、それをひっかくことで虹色が透けて見え、とてもきれい。
「る」と「と」は細かく切った布を貼り付けています。何枚も重ねられていて、とても厚みがあります。
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「なみえ」チームは、文字を書いた円の周りに、ちぎった和紙をあしらってお花のようにしました。
配色がしっかり考えられています。
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「博物館」チームは、難しい漢字をカラフルに仕上げてくれました。

それぞれの文字を土台に配置して、浪江らしいモチーフを加えていきます。
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そして完成!
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波しぶきを受けて、お魚が飛び跳ね、カモメが気持ちよさそうの飛んでいます。

震災から5年、低学年の子たちは、もしかしたら浪江の記憶はおぼろかもしれません。
それだけの時間、ふるさとが失われていたという事実を「ふるさとまるごと なみえ博物館」は伝えます。
今回作ってもらった看板は、博物館の展示の一つとして受け継がれていくことと思います。

2016年8月19日(金)
暮らしの記憶プロジェクト
美術作家・安田佐智種さんによるリサーチが進行中です。
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浪江町請戸で区長をつとめられていた鈴木さんを訪ねました。
鈴木さんは請戸で鈴木酒造店を営まれていましたが、現在は山形県長井市に移り住み、そこで新たに酒造りを始めています。
請戸での暮らしから、新しいスタートを切るまでに至ったお話を聞かせていただきました。

安田さんのリサーチは、かつて住んでおられた家の間取りを描いてもらうことから始まります。
そうだな・・・とおっしゃいながら、鈴木さんは懐かしむように愛おしむように間取りを描いてくださいました。
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震災前、直後、しばらく経た後のご自宅の写真を見せていただきました。
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写真を見ながら、鈴木さんは請戸での暮らし、海への思いを語ってくださいます。
正月の元日・二日は、初日の出と船の出初め式のため、酒店が一年で最も忙しい日であること。
子どもの頃は、毎日朝から晩まで海で遊んでいたこと。
海の事故が起きないように、海水浴場の運営と見回りをつとめておられたこと。

季節によって移っていく、海からの日の出。

鈴木さんのお母様は
「戦争の時でさえ、建物は残ったのに・・・」とおっしゃられたそうです。
何もかもを押し流した津波。
失われた暮らし。
その痕跡、記憶。
安田さんのリサーチと作品は、それらをすくい取り、アーカイブ化する作業です。

鈴木さんご一家は身一つで山形に移り住まれ、様々なご縁と協力を得て酒蔵を再開されました。
最初は山形の雪深さに驚かれたそうですが、今では雪室で保管するなど、新しい酒造りに挑戦されています。
酒造りは休みがない厳しい仕事だと、嬉しそうに語る鈴木さん。
夢は自前の雪室をもつこと、とおっしゃいます。

震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって多くを失いながらも、新たに紡がれていく暮らし。
磐城寿はその象徴のような酒です。
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2016年8月15日(月)
福島祝いの膳プロジェクト
フードアーティスト中山晴奈さんの今年度第3回目のリサーチの様子をご紹介します。
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あいにくの曇り空ですが、
まずは福島市にある梨園、株式会社あべきさんを訪ねました。
代表の阿部泰博さんから梨栽培の歴史をうかがいます。
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福島市萱場はもともと養蚕が盛んな地域でしたが、明治はじめ頃の桑の不作を受けて梨栽培に転換し、本格化したのは大正の頃だそうです。梨の産地から苗木を取り寄せたり、園芸の先生を招いて指導を受けたりと、様々な取り組みを経て、今では「萱場梨」と呼ばれるブランド梨に成長しました。辺り一帯は梨農園です。

そこから更に、革新的だったあべきさんでは、お祖父さんの代から洋梨栽培を始められたとのこと。
自生種に洋梨の品種を接ぎ木し、現在は9種類の洋梨を栽培しているそうです。
マルグリット・マリア、ドワイエンヌ・デュ・コミス、ブルックリン、ブール・ボスク、ル・レクチェ、シルバーベル、ラ・フランス、グランド・チャンピオン、ゴーラム
何やら聞いているだけで、高貴な香りが漂ってくるお名前。
19世紀のフランスで貴族たちが競うように品種改良をし、今に至るそうです。

あべきさんの販売スタイルは顧客から直接注文を受ける直販。
主に首都圏の方が贈答用に購入されるそうです。
そのため、震災後の風評被害の影響を受け、一時は70%も注文が減少したといいます。

梨そのものの出荷のほか、様々な加工品の開発もされています。
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コンポート、ワイン、缶詰にジャム。
洋梨のジュースやビールも作っているそうです。
缶詰や瓶詰めの洋梨は1~2年ねかせると、熟成して何ともまろやかな味になるのだとか。
特別な時には、お菓子屋さんに頼んでタルト・タタンやソルベを作ってもらうこともあるそうです。

その後、洋梨畑を案内していただきました。
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洋梨畑には、どこかおしゃれな雰囲気が漂っていました。

次は桃農園のかんたファームを訪ねました。
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こちらも9種類の桃を栽培されているとのこと。
はつひめ、まなつ、あかつき、紅国見、まどか、紅錦香、川中島、阿部白桃、ゆうぞら
こちらも名前がきれいです。

桃栽培の流れをうかがいました。
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まずは苗木選び。苗木のカタログを見せていただきました。
同じ川中島でも、その中にさらに多数の品種があるとのこと。傾向や好みで苗木を選びますが、植えてから5年は待たないと売れる品質の桃は収穫できません。
「桃栗3年柿8年」といいますが、根をはって、木が十分なエネルギーをためるまでには、長い時間が必要なのだそうです。
その後は、
冬に剪定。よい枝を選んで残します。
3月には摘蕾。枝の下側についている蕾だけ残して、あとは摘んでしまいます。枝の上は実が日焼けをしてしまうので、はじめからとっておくそうです。
5月に花が咲くと受粉。こちらでは人工ではなく、虫たちによる自然受粉を行っています。
実がなると、今度は摘果。甘みたっぷりの桃を作るためには、数をしぼらなければなりません。
夏には収穫。品種によって収穫時期が異なり、7月~9月は忙しい日が続きます。涼しいうちに採らないと、あっという間に熟れてしまうらしく、収穫は朝4時~5時に行うとのこと。
まさに今がその時期。どれも美味しそうに実っているように見えますが、虫害や、日焼け、ちょっとした傷も許されません。完全無欠な桃でないと出荷されず、あとはジュースの工場などに送られるそうです。
摘蕾に始まり収穫まで、何とも過酷な桃の選抜コース!
そんなデリケートな桃の大敵は天候。1日収穫が遅れただけで、雨風により傷んでしまいます。この日も天気は下り坂。今たわわに実っている桃の明日が心配です。
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かんたファームさんの面白いところは、最盛期には職場体験として小学生に出荷のお手伝いをしてもらっていること。
箱作りや箱詰め、最後の押印をお願いしているそうです。
中には毎年来ているベテランの小学生もいて、大人を指導できるほどだとか。心強い!

収穫できるまで手間ひまがかかる割に、とても傷みやすく、収穫できる時期は短い。一番難しい果樹ではないかと菅田さんは言います。
それでも桃農園をされているのは、収穫時期以外は暇だからと冗談めかしておっしゃっていましたが、きっと何とも言えない魅力があるのではないでしょうか。
そう思わせるほど、今が盛りの桃畑は妙に色っぽく、吉祥感にあふれていました。

今回、果樹農家さんにうかがって、これまでのリサーチとの違いを強く感じたのは、やはり果物はファッショナブルな食べものであるということ。
主食や栄養源としての食べものではないからこそ、そこには「価値」が必要になります。
その「価値」をいかにプロデュースしていくかが問題になるわけで、今回うかがった2件は農家であるとともに、ブランド戦略に長けた企業家のような印象を受けました。

食べものをとおして見る、はま・なか・あいづは本当に面白い。
そう思った第3回リサーチでした。

2016年7月13日(水)、14日(木)
福島祝いの膳プロジェクト
フードアーティスト中山晴奈さんのリサーチが奥会津の昭和村、裏磐梯の北塩原で行われました。

1日目は昭和村で農家民宿「やすらぎの宿とまり木」を営む皆川キヌイさんを訪ねました。
キヌイさんはお米、各種野菜をご自分で作っていらっしゃいますが、中でも豆の種類の豊富さに驚きます。
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納豆豆、香り豆、丹波黒豆、みそ豆、きなこ豆、黒豆早生、青豆、だだ茶豆
名前を唱えているだけで、楽しくなってきます。
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さっそく豆料理のレクチャーを受けます。
まずはお豆腐作りに挑戦。
水につけた青豆をミキサーで細かくします。これを呉汁といいます。
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遊びに来た小春ちゃんも気になるご様子。
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呉汁を沸騰するまで煮ます。
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沸騰したら布巾でこして、おからと豆乳に分けます。これが熱い!
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緑色の、とてもきれいなおからができました。
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豆乳を鍋に戻し、にがりを加え、豆腐箱に移します。
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ですが、
あれ?・・・あれれ?
いっこうに固まる気配がありません。
最初は大丈夫よと言っていたキヌイさんも、何やら不安げな面持ち。
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最終的に、とても美味しい豆乳ができあがりました・・・笑
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何が原因だったのかは不明。再チャレンジを誓いました。

他には、豆を素揚げして自家製味噌を絡めたもの、おからの煮物を教えてもらいました。
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料理の合間に紹介してくれたのが、麦芽と餅米で作る水飴。
砂糖を手に入れるのが難しかった頃、砂糖の代用として作られました。
とにかく滋味豊か!病気の時、薬代わりにしたというのも納得です。
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さて、その日の夕食はキヌイさん手作りの料理の数々。
ほとんどがキヌイさんの畑でとれたものです。
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最後は香りたかいきのこご飯と、自家製味噌の味噌汁。
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どれもとても美味しいのですが、心づくしの料理に胃の大きさが追いつきません・・・。

翌朝は、キヌイさんの畑を案内していただきました。
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茄子、葱、南瓜、隠元、、、
手入れの行き届いた畑、やさしい雨にぬれる緑と土の香り。
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体の中からも外からも清らかになったような気分で、キヌイさんの宿を後にしました。
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そして、裏磐梯は北塩原へ。
北塩原地域興し協力隊の赤木さんの案内で、ジュンサイ摘みに挑戦しました。
ジュンサイは淡水の池などに生える水草で、茎や若芽にはゼラチン質のヌルと呼ばれるぬめりがあり、夏の高級食材として珍重されています。
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裏磐梯エコツーリズム協会会長の真野さんからは、北塩原の寒冷な気候・きれいで豊富な水が栽培に適していること、主に女性の夏の仕事として行われたこと、シーズンが短い故に安定的な収入に結びつかないためなかなか後継者が現れないことなどをお聞きしました。
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さて、いよいよ船出です。
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摘み始めると、思わず熱中しみな無言に。
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本日の収穫。そして夜には酢の物にして美味しくいただきました。
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そして最後は、会津山塩企業組合に向かい、代表の栗城さんから山塩の歴史、製法についてうかがいました。
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山塩はその名の通り、山でとれる塩です。
大塩裏磐梯温泉は、太古の海水が溶け出した塩分の高い源泉です。それを煮詰め乾燥させることによって山塩が作られます。長い年月によって海水の成分が変質し、海塩とは異なる風味と成分の山塩が誕生しました。
藩の製塩所として栄えた大塩地区ですが、昭和42年の大火によって一度、その技は途絶えていました。
そこで会津山塩企業組合が、地域の伝統と味を復活させるため結成されました。
煮詰める濃度によって温泉の成分が塩の味に影響し、安定した品質になるには試行錯誤の繰り返しだったそうです。
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できた塩も粗さによって、舌に感じるまろやかさが全く異なります。
これからも商品開発に向けた試行錯誤は続きます。

今回のリサーチで改めて感じたのは、
地域の伝統食、食文化を伝えるのは人なのだということ。
何より好きだから、喜んでもらえるのが嬉しいからとおっしゃって、農家民宿を営むキヌイさん。
昔ながらのものと、キヌイさんの新しい感覚とのバランスが絶妙でした。
後継者不足に悩みながらも、新しい形でつなげていこうとしているジュンサイ摘み体験。
一度は途絶えても人々の熱意によって復活し、裏磐梯の特産として売り出し中の山塩。
伝統はただそこにあるのではなく、それを伝える人の思いや工夫が加わることで、生きてつながっていきます。

さて、次回はうってかわって、
中通りの果樹農家さんの新しい取り組みをリサーチします。
お楽しみに!

2016年7月8日(金)、9日(土)

福島祝いの膳プロジェクト
2日にわたって開催されたいわきフォーラムの後半、
小名浜UDOK.でのクロストーク「潮目の血」の模様です。
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トーク1「うみラボから分かること」(小松理虔)
トーク2「三陸~いわき 海と食の復権」(中山晴奈)
トーク3「写真集『魚人』『おわり。』の世界~漁と猟~」(田附勝)
と題して、お三方からそれぞれの活動と、活動を通して見えてきたことについてお話しいただきました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故による海や魚への影響を調査する、いわき海洋調べ隊「うみラボ」の研究員として活動している小松さん。
いわきの海は暖流と寒流がぶつかる豊かな海であること、海底の地形、どんな魚がどこにいるのか、どんな漁師がどんな漁をしているのか、原発事故によって改めて地元の海を知ることになったといいます。また、そうして自分で調べ体験することによって、放射線量のデータが持つ重み・深さが全然違ってくるということ。
浜通りは東北・関東双方の周縁にあって、日本の近代エネルギー産業を支えてきました。その歴史を踏まえたうえでどちらにも依らずに、いわきの豊かさを見直して新しい価値観を生み出していくべき、という提言がなされました。

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食をコミュニケーションツールとして捉えているというフードアーティストの中山さんからは、全国各地の漁業、水産ビジネス、海とのつきあい方の様々な有り様を紹介していただきました。
今は、食べる人ととる人・作る人との距離が遠くなり、何が美味しいということなのか、何が安全なのか、わからなくなっていると中山さんは指摘します。たとえ安全を諦めたとしても、消費者は誰がどのように作っているのかを知ることで、生産者は自分たちが作ったものがどのように食べられているのかを知ることで世界が変わり、相互に安心を得ることができる。中山さんが携わっている『東北食べる通信』では、SNSを介して消費者と生産者が直接つながることで、新しい流通の場づくりを行っているとのことでした。

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写真家の田附さんは、東日本大震災以前から岩手県釜石の鹿撃ち猟、突きん棒漁を行う猟師・漁師の姿を撮り続けています。田附さんにとっての東北は、生の爆発や死を日常の生活の中にもっていると感じるエリアであり、海や山とともに生き命をいただく、その当たり前の生活を、当たり前の生活の中で感じて田附さんは撮影します。最大のテーマは台所にたどりつくこと(笑)。台所は生と死と生活が、何百年も何千年も繰り返されてきた場所です。
だからこそ、原発事故を契機に鹿撃ちをやめた猟師の姿を追った写真集『おわり。』は、圧倒的な密度と重さを持っています。

最後のクロストーク「潮目の血」では、お三方に会場を交え語り合っていただきました。
クロストーク

「祝い」について。
日常の食事、日々の暮らしがとても尊いということ、
季節の繰り返しの中で収穫する喜び、
空気のように生活に溶け込んでいる、先祖や見えない存在を思い祈るということ、
それをアートの視座から捉え直す、それが「祝いの膳プロジェクト」なのだというお話がありました。

「日常」
日常の中で意識されていないことが、外の人間の問いかけによって意識され輝きを増す瞬間、それがありがたいのだと中山さんは言います。
撮影先のお宅で昼寝をさせてもらうという田附さん。「寝てていいよ」と言われた時、許されたように感じるのだとか。昼寝しながら感じる台所の匂いや見えない気配に生活をかぎとり、撮影するそうです。
とれなかった時はなんとかし、とれた時は飽き飽きしながら食べ方や加工を工夫する、それを引き受けて食いつないでいく。そこからでないと感謝の気持ちは生まれてこないのではないか、というお話も小松さんからありました。

人と自然とのつながり、人と人とのつながり
そこに人は尊厳や信頼を見いだし、安心、幸福を感じていたはず。
原発事故はそれらを奪い、傷つけました。
ですが、それを取り戻すこともまた、人を思うこと、人とつながりをもつことから始まるのかもしれません。
食べることを通して誰かを思い起こし、情景を思い浮かべることという「祝いの膳」は、そのつながりの一つです。

いわきフォーラム2日目は
中山さんの「他者を思うこと」という言葉で終わりました。
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2016年7月8日(金)、9日(土)

福島祝いの膳プロジェクト
フードアーティスト中山晴奈さんによる、いわきの伝統食・水産業のリサーチ結果をもとに、いわきの食文化の多様性・海の恵みについて知り、福島の食の現状と復興を語り合うフォーラムが2日間にわたって開催されました。

7月8日(金) 車座トーク「いわき食べものがたり」 @四家酒造
7月9日(土) クロストーク「潮目の血」 @UDOK.

1日目の様子をご報告します。
講師は中山さん、
江戸時代から代々いわきに住みいわきの食文化に詳しい有賀行秀さん、
四家酒造代表の四家久央さん、
いわきの食産業に詳しいいわき産学官ネットワーク協会の阿部峻久さん、
いわき海洋調べ隊「海ラボ」事務局の小松理虔さん、
八戸・釜石に滞在し海と山の漁師・猟師の姿を撮影している田附勝さん

まずはクロストーク1「いわきの食、いまむかし」と題して中山さん、有賀さん、四家さん、阿部さんにお話いただきました。
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人の思いが強くある食材や料理は「文化の結晶」だとおっしゃる中山さん。
阿部さん、小松さんの案内でまわった、いわきのリサーチについて紹介してもらいました。
そこから見えてきたのは、福島の食の多様性、
会津の山の文化とは全く異なるいわきの食文化・人の気性・ある種の捉えどころのなさだといいます。
そのリサーチの課程で出会ったのが、
有賀を名乗って400年、いわきに住んで250年という有賀さん、古くから酒屋を営む四家酒造の四家さん。
お二人のお家に伝わる伝統食についてご紹介いただきました。
とは言っても、家のルーツ、生業、地域によって様々な違いがあり、
「これがいわきの伝統食だ」と言うことが難しい複雑さがあることがわかってきました。

有賀さんちのお煮がしと四家さんちのお煮しめは違うのか?
呼び方、味付け、食べるシーン・・・共通点もありつつ、各家でかなりのバリエーションがあるということ。

いわきは魚?
山側の地域では実はあまり食べないということ、保存方法や代用品が様々に考案されてきたこと、などなど。

いわきの食文化の捉えどころのなさ、それはつまり「多様性、豊かさ」でもあると感じられたクロストーク1でした。

有賀家のお煮がし

有賀家のお煮がし

クロストーク2「いわきの魚食、東北の魚食」
ここでは、中山さん、小松さん、田附さんの3人で、より海に接近したお話をしていただきました。
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いわきで捕れる魚の豊富さ、田附さんがフィールドにしている釜石・八戸の漁、それぞれの特性、その共通点と相違点を話しているうちに、命をいただくという感覚、船と海でつながる環太平洋文化へと議論は広がっていきます。

「船文化やばいよ(笑)」(田附)

そして原発事故の影響について。
数値で食べ物の安全性が測定されている現在、
田附さん、中山さんの言葉で印象的だったのは、
「食べるとは、あの人が捕っている、あの風景の中で捕っているという情景を食べることでもある。だからこそ美味しいと思う」
「信頼している人が、その人の判断で捕った魚なら信頼して食べる」
というもの。
何が安全で何が危険なのか、大量のデータの中で窒息しかかっているなか、
本来、食べるとはどういうことか、信頼できるとはどういうことか、食の本質への問いかけがなされたように思います。

車座トーク「いわき食べものがたり」
最後には全員参加で語り合っていただきました。
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東北でもなく関東でもないといういわきの不思議な立ち位置、山もあり海もあり、開けているが故に様々なルーツの人が流れ込み多様な文化を形成しているという環境。

「いわきの中にもはま・なか・あいづがある。いわきは福島の縮図」(小松)

いわきの捉えどころのなさを掘り下げていくと、そういったことが見えてきます。

最後に大きなテーマとなったのが
食は、現在の人や自然をつなぐだけではなく、過去の先祖や目には見えない世界と今をつなぐ力があるということでした。
「いますがごとく(そこにいるかのように)」食事をお供えすることによって、会ったこともない先祖がいて今の自分がいることに思いを致し、形としては見えない自分の外側にある世界に畏敬の念を抱く。
それは他者への想像力であり、それが今生きていくために大切なことなのではないか、ということが語られました。

締めくくりの中山さんの言葉
「食べものを扱うのは重くてしんどい。でも、食べものは様々なものをつなぐ多様性に満ちあふれている。福島は本当に複雑な所で、それを一つにまとめることは難しいけれど、模索しつづけていきたい」

とっぷりと暮れたところで、1日目の車座トークはお開きとなりました。
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