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昨年度2回にわたって開催したグランド・ラウンドテーブル。その第1回目のテーマが「いま、福島からの演劇」でした。はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトの延長線上に演劇を捉え、近年の福島における演劇について、それに関わる活動を展開してきたゲストをお迎えし、演劇だからこそ出来る表現、福島だからこそ出来る演劇を徹底的に11時間語り合ったものでした。
先日、6月13・14日に開催しました「グランド・ラウンドテーブルinいわき」は、そんな昨年の内容を踏まえた上で「ここで作る演劇、演劇で創るこれから」をテーマとし、震災から4年が経ったこの福島という【場所】で、演劇を通して何が出来るのか、その【可能性】を思索すべく、演劇の世界で活躍するプロデューサー、アーティスト、劇作家など総勢8名をお迎えし、いわき市のアリオスにて2日間開催いたしました。

2日間で合計8時間というラウンドテーブルお馴染みの長丁場でしたが、登壇者、ご来場のお客様の熱は最後まで冷めることはなく、熱い議論が交わされました。

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なんでもない平和な日常に、震災・原発事故という、とんでもなく恐ろしい非日常が突然突き刺さった福島。
しかし皮肉にも、非日常が訪れ、社会が大きく動くその時、芸術は真の力を発揮する。中でも、演劇は、とりわけ悲劇や暴力というタブーなもの、ネガティブなものを取り上げる事が多い。そんな演劇だからこそ、震災のこと、それをきっかけに福島で今も起こり続けていることを、「声」「ことば」として作品とし、演劇をもって記録し続けなければならない。
それが演劇の持つ力であり、演劇に携わる者の使命である。

登壇者の皆様から出た言葉です。

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震災後のこの福島で、いわきで、芸術活動を行うのは(登壇者の皆さんは)怖いと思わなかったか。
震災後様々な催しやプロジェクトが立ち上がるのを、少し冷めた目で見ていたけれど、最近やっと少しずつそういった活動を受け入れられるようになってきた。
演劇はコミュニケーションでもある。被災者の支えにもなるのではないか。

ご来場いただいたお客様からも沢山の思い、願いを聞かせていただくことが出来ました。どの言葉にも、抱えている痛みが見え隠れします。

福島は震災から4年が経過した今もなお、複雑な問題が山積みで、苦しみ悲しみが続く厳しい場所です。ですが、そんな福島にしか出来ない、福島だから出来る、演劇の未来を切り開く大きな第一歩を踏み出すことが出来たのではないでしょうか。

この度のグランド・ラウンドテーブルで交わされた沢山の「思い」を見つめ続け、形にすることは、福島の過去、現在を残す事、未来を創造する事でもあります。
それが私たち、はま・なか・あいづの使命であると深く胸に刻みました。

登壇者の皆様、ご来場いただいた皆様と有意義な時間を共に過ごすことが出来たこと、大変嬉しく思います。本当にありがとうございました。

(髙橋牧子)

東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で、震災から4年以上が経過した今も全村避難中の飯舘村。はま・なか・あいづ文化連携プロジェクトでは、一昨年前から、村の歴史や文化を子どもたちに継承して欲しいという願いから行われている、飯舘中学校の「ふるさと学習」という授業を追いかけています。

「ふるさと学習」では、村の方々や、村の歴史・文化に詳しい方々を講師に招き、1年生は飯舘村飯樋町の田植え踊りを習い、2年生は村に伝わる民話を学んで紙芝居を作り、3年生は村の食文化を知り食品を自らの手で作り出すといった授業を1年を通して行います。また、今年度は今まで以上に中学校全学年で連携をとり合い、上級生は下級生へ前年自分たちが行った活動を教えたり、下級生は上級生の活動のお手伝いをしたりし、「学ぶ」だけではなく「伝える」事にも力を入れています。

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先週5月29日は、1年生の「ふるさと学習」、飯舘田植え踊りの第一歩目。
飯舘中学校に、福島県文化財保護審議会委員で民俗芸能研究家の懸田弘訓さんをお招きし、田植え踊りとはどういった踊りなのか、どのような歴史があるのか、そして何故、それを自分たちが学び伝え繋いでゆくのか、その意味を理解するための講義が行われました。

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【上の写真は昨年度の飯舘田植え踊り古民家公演の様子です(現在の飯舘中学校2年生)】
飯舘村飯樋町の田植え踊りは、子孫繁栄と五穀豊穣を願って米作り作業課程を模擬的に演じた踊りで、270年ほど前に安達地方から入ってきたものと言い伝えられています。その踊りの種類は18にも及び、ひとつの地域にこれだけの数の踊りがあるのは大変珍しいのだそうです。
飯舘村は高冷地にあるため、昔から数年に1度というペースで冷害に襲われてきました。中でも、天明の大飢饉の被害は凄まじく、食べ物は底を尽き、植物の種すら取れず、飯舘村の人口は著しく減少。沢山のご先祖様方がその犠牲となったのだそうです。飯舘村に数多くの田植え踊りが存在する理由は、かつての村の人々が経験した辛く苦しい歴史からなのです。
天明の大飢饉以降も、飯舘村は度重なる凶作に苛まれました。
辛く苦しい年が明け、豊作に恵まれたと思った矢先、また冷害に襲われる。そういった厳しい土地だったのです。
それでも、田植え踊りは続けられました。どんなに苦しくとも、村の人々は願い、祈り続けました。

今、飢饉とは違う形ではありますが、飯舘村はまた辛く苦しい時代を迎えてしまいました。

故郷のご先祖様方が、何世代も前から繋ぎ続けて来た田植え踊りは、この厳しい今を生きねばならない運命を背負わされてしまった彼らに希望を残すために伝えられてきたのかもしれません。

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懸田さんのお話しを真剣な眼差しで静かに聞き入る子どもたち。自分たちが田植え踊りを学び繋いでいくその意味を、確かに感じ取っているように見えました。

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今年度のいいたて学校プロジェクトでは、昨年度、福島写真美術館プロジェクトのフォーラムにご参加くださった写真家の野口勝弘宏さんが、飯舘田植え踊りに向き合う子どもたちの様子を写真や映像に収め、その記録を作品として仕上げます。

(髙橋牧子)